中田英寿は収入と反比例してサッカーへのやる気が薄れた?? | 人生を最大限楽しむブログ

中田英寿は収入と反比例してサッカーへのやる気が薄れた??

      予想年収  予想年俸

1995年(18) 年収00億円 1000万円平塚
1996年(19) 年収00億円 2000万円平塚
1997年(20) 年収01億円 4000万円平塚    
1998年(21) 年収04億円 8100万円ペルージャ 移籍金:5億2千万 wcup
1999年(22) 年収06億円 2億5000万円ローマ
2000年(23) 年収07億円 2億5000万円ローマ
2001年(24) 年収07億円 4億円パルマ      移籍金:17億
2002年(25) 年収07億円 4億円パルマ           wcup
2003年(26) 年収07億円 4億円パルマ
2004年(27) 年収05億円 2億7000万円フィオレンティーナ 移籍金:3億4千万
2005年(28) 年収05億円 2億7000万円フィオレンティーナ
2006年(29) 年収07億円 2億7000万円フィオレンボルトン wcup
2007年~2013年 不明 旅人 

スポンサー
1996年(19)日清食品
1998年(21)アサヒ飲料 FILA 富士重工業
1999年(22)アサヒ飲料 FILA 富士重工業
2000年(23)NIKE 富士重工業 キヤノン
2001年(24)NIKE キヤノン
2002年(25)NIKE キヤノン 
2003年(26)NIKE キヤノン 
2004年(27)NIKE キヤノン 
2005年(28)NIKE キヤノン 
2006年(29)NIKE キヤノン 日本コカ・コーラ トヨタ自動車

こうやって並べると意外に中田英寿さんはスポンサーが少ないですね。イメージが誰にでも受ける感じではなかったですもんね、確かにメディアに対してぶっきらぼうでしたし長友なんかとは正反対のイメージです。
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ウイイレ能力値 全盛期

攻撃/守備/当た/スタ/スピ/加速/反応/敏捷/
84/63/91/90/80/80/83/81/
ド精/ド速/短パ/短速/長パ/長速/蹴精/蹴力/蹴技/FK/曲が/
82/80/88/95/84/81/78/85/77/80/76/
頭精/跳躍/テク/積極/精神/プ安/連携/コ安/
76/75/88/76/87/ 6/82/ 6/
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彼の収入源は本の印税・CM・雑誌・ファンサイト・TV・サッカー用具スポンサー・チーム年俸・勝利給・日本代表出場給・東ハトなどと考えられます。とりわけスポンサーがもっとも大きな収入源でしょう。その次に年俸でしょう。年俸4億に加えてスポンサーが4社で1社1億と考えて4億それにそのほかもろもろで2億で10億くらいが推定でしょう。

(中田英寿のすごさを今のサッカー情勢に例えるならば)

19歳でベルマーレで活躍
20歳でワールドカップで大活躍し注目される
21歳でイギリスのサウサンプトンに入団 大活躍する 10得点
22歳で前半も引き続き活躍し強豪のアーセナルに入団
23歳エジルとのトップ下争いに負け34試合中5試合しか出れなかったがマンcとの大事な一戦で大活躍する
24歳出場機会を求めてリバプールへ移籍エースだが合わずにチームは連敗続き10位で終わる
25歳右サイドにコンバートされてレギュラーとしてがっつり出場 5位で終わる
26歳前年に引き続き出場した後トッテナムへ移籍し活躍するが怪我
27歳ウエストハムに移籍し怪我が影響して全くダメ 後半干される
28歳ブンデスの下位チームに移籍するがダメ
29歳引退

(なぜ中田はローマ時代(22歳)から落ち目になって引退したのか?)

彼は中学高校ベルマーレペルージャ日本代表と順風満帆でした。ローマ時代、彼はすばらしい結果を残しましたがトッティほどではありませんでした。相手が悪かったということです。決してわるくはなかった。当然ボランチとして起用されますがエメルソンとアスンソンという二人のボランチがいましたので彼らに出場機会を奪われます。結局トッティが出場できないときのみトップ下で出場し活躍しました。つまり彼はトッティより実力は下で共存はできないから下がってボランチだとそれはそれで二人の優秀なボランチがいるから無理。出場機会はなくなり移籍。彼の調子は決して悪くなかったのです。落ち目になってはいませんねローマでは。落ち目になったのはパルマではないでしょうか。

原因はいくつかあるだろうけれどその理由は彼曰くお金のために働きたくなかったし、サッカーが楽しくなくなったからだそうです。彼は「楽しむためには結果を出さなければいけなくてそのためには練習が必要だ、だから楽しむことは楽なことじゃない。」そんなことを高校生に話していました。その意味で彼がサッカーを楽しめなくなったのは彼がサッカーに対してモチベーションを失い練習や考えること、節制をしなくなりそのためにローマ以降で結果が出なくなり落ちぶれて引退したというのが正直なところでしょう。

(相当やり手のビジネスマン)
彼がほかのサッカー選手とは違いました。それはメディア戦略です。二点特筆すべきことがあります。
1、サニーサイドアップとの契約
2、ブログ活用
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1189686981
上記の知恵袋の回答に詳細な説明があるとおり(中田に対して低評価のバイアスですが)
この時代まだネットが浸透していなかったのですが彼は先進的でブログを書いてます。またスポーツ選手の価値を高めニュースに取り上げられるように各メディアにプレスリリースを送る契約をサニーサイドアップと契約します。これらはほかのサッカー選手はしていませんよね。なぜ契約したか、それは彼自身のブランディング戦略です。日本人から見てすごい選手になればスポンサーが増えてCM契約が増える、そのための施策を打つ計画でしょう。


(いつ彼の収入が増えたか)

彼の収入は1997年のアジア予選でのTV露出で知名度が一気に上がり、1998年ワールドカップ当時21歳で完全に時の人となった事で、スポンサー収入と年俸が比例して上がりました。ローマの年俸とCMなどの収入が一気に入ってお金を儲けたのだからローマの時期にモチベーションが下がったのではないでしょうか。ビジネスとしてサッカーに取り組んでいればモチベーションは下がるでしょう。彼が怪我したのはフィオレンティーナ時代なので怪我が原因ではありません。なぜ1999年の全盛期時代から劣化したか、モチベーションの低下以外に理由がわからないです、年齢は絶対にありえない。誰か教えてください。中田英寿は収入と反比例してサッカーへのやる気が薄れたのでしょうか。それ以外に理由がない気がします。余りにも落ち目になるのが早いと思う。劣化するような年齢ではないはず。私の疑問はただ一点。尊敬し愛する中田英寿さんはどこで落ち目になってなぜなのだろうかと。

ーーー彼が結果を出して勝組になったチームは下記ですーーー

勝ち
超弱小チーム平塚(チームの中心でした)
弱小チームペルージャ(チームの中心でした)
中堅クラブボローニャ(チームの中心でした)

負け
強豪クラブローマ (色々言われてますが基本的にはトッティにレギュラー争いで負けました)
強豪クラブパルマ (トップ下で機能せず&ポジションが監督の意向と合わないだけでない)
中堅クラブフィオレンティーナ(怪我)
下位クラブボルトン(レギュラー取れず不調、完全な落ち目の中Wカップで引退)

こう見ると世界一流プレイヤーだが超一流ではないようです。

ーーー移籍金の変化ーーー

95-98 ベルマーレ平塚 年俸:1千万→4千万
98-99 99-00半 ペルージャ(イタリア) 移籍金:5億2千万 年俸:8100万
99-00半 00-01 ローマ(イタリア) 移籍金:17億 年俸:2億5千万
01-02 02-03 03-04半 パルマ(イタリア) 移籍金:32億 年俸:4億
03-04半 ボローニャ(イタリア) レンタル:9450万※半=シーズンの半分
04-05 フィオレンティーナ 移籍金:3億4千万 年俸:2億7千万
05-06 ボルトン(イングランド) レンタル:2000万円

ベルマーレが日本人に5億払うっていうのもすごいですし、そこからペルージャに行って更に急騰しローマでトップレベルの32億。いかに評価されてたかわかりますね。しかしパルマは5年契約で32億で買い2年半で2年半残っていたにもかかわらず3億で売りましたので13億の赤字です。移籍金は契約年数が長ければ普通は高くなりますから。パルマで評価を大きく下げたことがわかります。

(それでも中田が好き)
ただ中田英寿の価値は野茂英雄と同じです。アジア人で初めて欧州で活躍した。それがすごいんです。俺でもやれるとアジアで彼だけが思った。彼が成功したからこそ今の本田や長友や香川の自分の未来に対するイメージが変化した。先駆者の価値はそこにあります、それが彼の価値だと思います。あーだこーだファンが言って来ましたが今までの活躍からするとあれれ?というだけで、引退後もデブにならずチャリティーやイベントで多くの日本の伝統文化を紹介したりサッカーを通じて寄付をしたりと生き様が大好きです。そこにはお金がどうこうというよりも一人の男性として尊敬と憧れがあります。

(アナザースカイ)

の影響でこちらの記事に来てくださる方が多いようです。中田英寿の今までの収入を整理してたからでしょうか。
アナザースカイを観て私の感想としては中田英寿は大好きだったがもう魅力は・・・。
なぜなら旅を6年は長過ぎます。今やっていることも結局定まっていないし美味しいものを食べてすごい人に会って興味のある事に挑戦するのは6年は長すぎるしその割にアウトプットがたいしたことをやっていないと思います。こういう人に会いました、こんなことを体験しました、はいいのですがそれをしたことで何をしたのか、特にないと思います。彼はチャリティーがやりたいことではないと思うし。人脈の凄さを自慢、美食を自慢、ファッションを自慢ではその辺のセレブと同じ悪趣味な人だと思います。

彼はサッカー選手として多くの人に感動と勇気を与えてきたのに引退後はそれだけの影響力を与えていません。何かを生み出すという意味ではサッカー選手時代の方が格好良かったですね。中田英寿より一歳年上のトッティは未だに現役としてやっていますから中田英寿もできたと思います。私は中田英寿のあの鷹のような目と野心と勝気なところ、そして屈強で逞しい体躯とともに結果を出していく強さに惹かれました。そして聡明で引退後もなにか格好良い人生を送るのだろうなと思ったのです。でも正直自慢番組のような印象を受けてしまった。彼がこういうことがやりたい、またはやっている、というのがないからこういう人と会いましたこんな場所に行きましたというだけの話になっているからだと思います。

日清食品 「日清ラ王」 (1996年)
アサヒ飲料
「Eau+(オー・プラス)」 (1998年)
「Eau+V(オー・プラス V)」
「SWITCH」 (1999年)
FILA イメージキャラクター (1998年 - 1999年)
富士重工業 (スバル)
「プレオ」 (1998年)
「レガシィ」 (2000年)
SKY PerfecTV!
NIKE イメージキャラクター
キヤノン
「デジタルカメラ・IXY」 (2001年 - 2006年)
「プリンター・PIXUS」 (2001年)
日本コカ・コーラ
「アクエリアス」 (2006年)
「コカ・コーラ ゼロ」 (2009年-)
トヨタ自動車 「WiSH」 (2006年)
ほっとけない 世界のまずしさキャンペーン
国際連合
資生堂 「SHISEIDO MEN」
エステティックTBC 「HUMAN×BEAUTY」 (2009年)
東芝 NTTドコモ携帯電話「T-01A」 (2009年)
JAL 「旅 中田英寿」 (2009年)
カルバン・クライン「Calvin Klein X Underwear」 (2010年)
レベルファイブ「イナズマイレブン3 世界への挑戦!!スパーク/ボンバー」 (2010年)