何もないじゃないかと言われそうですが、平成13年の火災により本殿、拝殿とも消失してしまい今残っているのは仮殿と山門だけです。

撮影していると境内を掃除しに来られた方がいらっしゃたのでお話をさせていただきました
昭和55年に拝殿、本殿を建立したが、平成13年の火災でお神輿まで焼けてしまったそうです
それでもお神輿を他地区から購入してお祭りは続けたそうです。
去年神輿を新調したとのこと。
そして数年前までは木が生い茂っていて外から中が見えなかったそうです
防犯上も良くないので木や雑草を取り除いて今のように綺麗になったそうです
今でも多いときには毎日、少なくても5日毎に掃除に来られてるそうです
頭が下がります
境内が綺麗なのはこの方のおかげだったのです
<(_ _)>
それからあたりを見ますと古い石は焼けずに残ってます。
これは「おとよ石」

松山城の石垣用に松前町にあった紋入りの石を、おたたさん(鮮魚の行商)が運んでいたが、その中のおとよさんという女性が石を運んでいる途中、日招八幡大神社付近で倒れてしまった
そこでおとよさんを哀れんで石を神社に残しているとの事
この石には○に二の文字が入ってます
ためしに触ってみましたが、大きくて重い。持ち上げることはおろか、動きもしません。
燈籠は笠の部分の装飾が細かくて綺麗

松山城下西町 棟梁 石工 米?七
細工人 濱村 次助 かな?
浜村は今の松前の浜のことでしょうか
素晴らしい職人さん
いい仕事です
松前 石工 鈴助?

嘉永7(1854)

この土台の石積みの綺麗さ
パズルみたく組み込まれてます


国道が神社を分断してしまったんですね
4車線の国道を車が通ってます
参道には松が植えられていて、その昔の事が偲ばれます


燈籠
安政2?(1855)
何れにしても1850年頃に建立したと推定
おとよ石は松山城の築城1602年後と推定
愛媛県松山市保免中1-1-18付近

















