口から食べる以外の方法に関した色々と、人の尊厳について思うこと① | 向き不向きより前向き♪言語聴覚士かあこから感謝をこめて

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ST(言語聴覚士)として病院・施設・学校などでリハビリや訓練に長年携わっています。出会わせていただいてきた方々への感謝の心をこめて、日々思う事・考える事などを綴っていきます。
どなたかの「今」にお役に立てることがひとつでもあれば幸いです。

ここ何回か、胃ろうについて書いてきました。

 

 

胃ろうも、経鼻経管も、
そこから栄養や水分を摂取したり、
薬を服用するということは
共通しています。

 

これは、胃や腸を使う方法です。
 
他には、中心静脈栄養など、
血管経由で必要な栄養をとる方法もあります。
 
私が知っている

介護老人保健施設や
特別養護老人ホームなどは、

 

「胃ろう」の方に対応する枠はあっても、

 

経鼻経管栄養や
中心静脈栄養の方への対応は
出来ないところが多いです。

今は、
救急病院には、長くは入院出来ないことが多いです。
 
これは、
国の方針がそういう風になってきているので、
その病院が冷血だからではありません。

 

 

入院して数日から数週間で、

ご本人様やご家族様が、
「次の行き先の検討が必要です」と、
言われる場合もあると思います。
 
口から食べられれば、
ご自宅も含め、
行き先の選択肢は増えますが、
 
それが難しい場合。
 
胃ろうの方が、
経鼻経管よりも
選択肢が増えることが多いです。
 
胃ろうにはしたくない。

でも、
しないと、行き先がない。
 
・・・というような場合があるのは事実。

そうして、
中心静脈栄養を使われる方は、
療養型の病院に移られることが多いです。
(私の勤務先や、その近辺での実情です)
 

又、食事摂取が
姿勢のセッティングと
食べ方、
食べるものの工夫があれば可能であったとしても、
 
その姿勢のセッティング
(例えば、ベッドアップ30度等)
食べ方
(例えば、全介助)
食べるもの
(例えば、ミキサー食)
 
・・・という様な対応が
その施設では困難だから。


その施設に受け入れてもらうために、
胃ろうにする。
 
・・・というような場合もあります。
 
でも、
そうしてでも、

 

 

元々いらした施設に戻り、

 

慣れ親しんだ環境で

 

馴染みのある大好きなスタッフさんと

穏やかな時間を過ごしたい。

 

過ごさせてあげたい。
 

 

そういう風に考えられて、
胃ろうの選択をされる場合もあります。


何を大事にしたいかは、

その方その方、
そのご家族様、そのご家族様によって
異なります。
 
当然、
経済的な状況なども関わってきます。
 
 
胃ろうにしたくても、
お身体の状態で、
造設できない場合もあります。
 
経鼻経管栄養にしたくても、
お身体の状態で、
出来ない場合もあります。
 
 
 
 
そうして。
 
 
他の栄養摂取の方法は用いずに、
自然な形で旅立てるように。
 
・・・という選択をされる場合もあります。
 
 
 
ご家族様のご意向にそって。
 
病前の、ご本人様のご意向にそって。
 
 
 
ある期間が経過しても、
ご病状に変化がなく、
意識が戻らない場合や、
 
 
ご本人の意識はあり、
ご本人がお話し出来たりしても、
それが、
元のその方の状況(レベル)ではない時に。
 
「口から食べられず、元々の判断力などを保てていないのならば・・・」
と、
病前の「尊厳死」に関したご本人の意思を尊重して、
 
ご家族様のご決断で。
・・・という場合もあります。
 
 
もちろん、
回復への願いをこめた、
ある期間を経てからのご決断になりますが。
 
 
 
尊厳って何?
尊厳死って何?
 
 
一人では歩けない。
ご飯も食べられない。
 
でも。
笑って下さって。
 
お話もして下さって。
 
その方とお話ししていると、
やさしい気持ち、幸せな気持ちで、一杯になって。
 
そういう人が沢山いて。
 
沢山の人が、
その方とお話しすると、
穏やかな笑顔になる。
 
 
それは、尊厳ではないのかな?
だめなのかな?
 
 
正解はないですね。
 
 
意識がなくても。
お話が出来なくても。
笑顔がなくても。
 
でも。
居て下さるそのことが、
どなたかの、大きな力になっている。
 
そういう方々にも、
お目にかかってきました。
 
粛々とお見送りに向かう日々を
過ごされたご家族様にも
お目にかかってきました。


心の力の要る日々だったことと思います。

 

 

「その方の人生」
「そのご家族様の人生」
・・・と、
 
あるラインからは、
自分の感情を切り離して。
 
 
でも。
そういう風にする自分が嫌で。
 
嫌だけれども、

きっと、
嫌だと感じる心に

ふたをするようになるだろう。
 
わかっていて、
そういう選択をして、
心にふたをすることを覚えて、
今に至ります。
 
でも。
悪い選択ではなかったな。
と、「今は」思っています。
 
 
長くなりますので、
続きは次回に。

 


長文お読み下さり、ありがとうございました。

 

 

 




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