フランスからの帰りの飛行機は、
行きと同様1人一列使えるくらいの空き具合で、
結局微妙に解消しきれなかった時差ぼけを解消すべく、
比較的早い段階で寝ていた。
熟睡とはいえないながらも
うとうとを繰り返して、
それなりの睡眠から起きてから、
座席モニターで何か見ようと思った。
ガッツリ映画を見るほど覚醒してないし、
ニュースはさっき見た。
バラエティーで笑ったら顰蹙ものだし、と
たどり着いた番組がNHK季節の俳句、
みたいな番組だった。
正直、普段なら絶対見ない。
でももしかしたら退屈さがまた眠気を誘ってくれるかも、と見始めた。
2月の季語は絵踏です。
そんな解説から番組は始まった。
絵踏と言われるとピンと来なかったが、
隠れキリシタンを見つけ出すための踏み絵のことだ。
マグダラのマリアからのこのタイミングで絵踏とは、と思いつつ、番組を見ていた。
踏まれたマリアさまの視点を詠んだもの、
踏み絵を見守る観衆の詠、
今からまさに踏もうとしてる人の視点、
いくつかの作品が解説と共に読み上げられた。
私だったら、あっさり踏むな。
そう思った。
今のわたしには、命をかけて信仰するものがない。
ご先祖様には感謝してるし、
神様はいると思うし、
亡くなったお父さんはきっと迎えにきてくれると信じてるし、
地球のために何かしたいと思ってる。
けれど、命をかけられるか、と言ったらかけられない。
きっと、命をかけるくらいなら、
踏んでもマリア様は許してくれるだろう。
そう思った時、フランスで行った教会を思い出した。
そこはマグダラのマリアが33年間瞑想をしていたという洞窟で、
緩やかではあるが、まあまあ長い山道を1時間ほど登った場所にあった。
体力のなさには自信があったので、
最初からマイペースで登ることを宣言し、
無理のないペースで登って行った。
それでも、運動に慣れない体がどんどん悲鳴を上げ始め、
自分の荒い息遣いを聞きながら歩いていると、
想像の中で生まれた同僚のシスターが
「もっと真面目に祈りなさいよ!」
と怒ってきた。
「空が青いなぁ、とか、
寒くなってきたなぁ、とか、
そんなことばっかり言ってないで、
もっと真面目に祈りながら登りなさいよ!」
うるさいなぁ。
どんな気持ちで登ろうが、
私の自由でしょうが。
自然を楽しんだくらいじゃ、
マリア様は怒らないって。
「あなたはいつもそうやって!
ふざけてばかりで!
もっと真面目に祈りなさいよ!」
キャンキャンと犬のように怒る彼女を横目に、
山道はまだまだ続いていく。
大体私が祈ったところで、
坂道が平らになるわけじゃないし、
祈らなかったところで、
争いがなくなるわけじゃないし。
そんな屁理屈をブツブツと呟きながら登った先に、
やっと目的地が見えてきた。
いつの間にか想像上の隣のシスターは消え、
静かな洞窟の中には祈りの場があった。
穏やかな顔をしたマリア様を見上げると、
「それでも、あなたが祈ってくれたら、
私は嬉しいですよ。」
そんな風な、言葉が聞こえた気がした。
悪態をつきながら登ってしまったことを、
少し恥ずかしく思いつつ、
ただ、静かに、マリア様を見つめていた。
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もし、あの時のマリア様を踏んでみろ、と言われたら、
少しだけ、躊躇してしまうかもしれない。
そう思った。
結局、最後まで番組を見て、
本格的にみるものがなくなったので、
また眠ることにした。
眠くはないけど、目を瞑ると、
そういえば、讃美歌は好きだったな、と思い出した。
結婚式や、クリスマス会で歌う機会があると、
すごく楽しくて、いつまででも歌っていたかった。
もしかしたら、遠い遠いいつかの昔は、
神様を想って、
マリア様を想って、
歌を、祈りを捧げていたのかもしれない。
もしかしたら、家族を思うように、
それよりずっと大きな愛を
むけていたのかもしれない。
季語になるくらい、
過去の日本では、
キリスト教が弾圧された時があった。
きっと踏み絵を踏まずに、
信仰を貫いた人もたくさんいた。
教科書の中で出てきた
隠れキリシタンについて、
そういえば何も知らないんだな。
そのうち、どこか訪ねてみようかな。
そんなことを考えるうちに、
いつの間にか、
また、眠っていた。
