朱鞠内から同行者に嫌な顔されながら深名線に沿って進んだ。この辺りは雨竜川に沿って鉄道も道も敷かれている。北海道スケールでは雨竜川渓谷なのかも知れないが、低い丘陵に挟まれたかなり広い低地を川は見事に蛇行していた。自然が形成した流路、探せば途切れた三日月湖もあったかも知れない。
1995年 添牛内駅を臨む
幌加内まではどの駅周辺もこの程度の規模、5km圏の人が全員毎日乗車しても赤字は避けられないだろう。
1995年 添牛内駅
意外なのは、どの駅も側線、引込線跡が見られる。やはり開拓期の資源採取搬出が主目的な路線だったと分かる。
冬こそ鉄道の北海道なのに、二学期の始まる9月で廃線になった。確かに数本の営業列車のために除雪するくらいなら、その経費で通学バスでも十分にお釣りが来るだろう。何ならタクシーで自宅まで送迎したって。
他人事みたいに言っているが、今やごく近所でも似たような状況になっているから少子化は怖い。