大学の講義型授業への出席は非常に面倒である。
既に1回欠席しているので、あと休んで良いのは3回。
これより多く休むと自動的に「不可」となってしまう。
現段階でのワタクシの目標は「単位取得」である。
「良い成績を取る」つもりは微塵もない。
また、教授♡と呼ばれるような大変優秀な研究者たちが講義をしてくれたところで、その話はテキストや配信資料にすべて書いてある。
わざわざ90分の講義を15回行わなくても、学習は可能なのである。
分からないことが出てきたら、ネットに頼れば良い。
それに、ワタクシを含め、講義をまともに聞いていない学生も少なくない。
これまでに観測した講義中における彼らの行動は、
・講義とは無関係の動画鑑賞(映画、アニメ、SNS…)
・他講義の予習や復習(要するに「課題」)
・講義とは関係ない長時間のおしゃべり
・講義に何ら関係のないゲーム(対戦、個人プレイ)
こんな感じである。
これは講師と学生のお互いにとって良くない。
講師側から、
「配信資料やテキストを用いて理解してください」
「第n週目と学期末に試験を行います」
とアナウンスすればそれで済んでしまう。
学生側も、本来講義の時間を遊びにサークルや部活、ボランティア活動に回すことができ、より充実した学生生活になると思われる。
テキストや資料は文字や数字、図を用いて書いてある。
大学に入学する歳になって、文字や数字を読めない人はいない。
(障害を持つ人やその他様々な事情で文字が読めない、書けない、学習ができない人はいるが、彼らは例外である。
もちろんそのような辛い思いをする人たちを差別、非難したりする意図は全く無い。)
それに今学んでいるのは学部教育レベルだ。
学習参考書もたくさんあるし、独学も十分可能である。
(「独学できない」⇒「学ぶ気がない」であると思っている。
※「出席が面倒である」ことと「学ぶ気が無い」ことは同義ではない。)
車が好きな人は、誰かから教わらなくても自ら車のことを学ぶだろうし、ロボットが好きな人は、自らロボットを学ぶはずだ。
そのような行動を大学の学習でもすればいい。
「単位が欲しい」、「必修科目になっている」、「純粋に学びたい」…
目的が何であれ、学ぶ気がある人間ならば好きではないことでもその程度の行動は可能である。
これまでに書いたブログを見返してみて、考え方が変化していることに気づいた。
随分と極端な変わり方である(ようにワタクシは思う)が、それもまた面白い。
また、レポートを書き終えるまでのスピードも明らかに早くなっている。
(ん?「ジョーダンは顔だけにしときな」って?
これは実習の時間にとある学生の口から発せられた言葉である。
意味不明な表現だ。
「迷言」と呼ぶにふさわしい。
有名な英語科講師、仲本先生の表現には到底叶わないが、なんとも言えない面白みを感じる。
恐らくワタクシが使う機会は無い。
次回はこれについて、ブログを書いてみるか…)