汽水域から少しさかのぼると、うなぎの卸元の施設があります。

土用のころになると、ここの模様がTVに映し出されます。

河口周辺とともにうなぎ、アユの養殖が昔から行われていて

数は減ったものの今なお行われています。




うなぎの卸元の施設です。




アユの養殖池の模様です。


ここから少し上手が那賀川橋で子供のころはこの橋、上下が

遊びのフィールドでした。




昔はこの橋の上下に、山からの「いかだ」がつくところがあり

簡易ケーブルカーで土手まで引き上げ、製材所に運んでいました。


そしてこの周辺も河口域と共に昔は製材業がかなり盛んで

昭和天皇が訪れたり、観光バスがR55の那賀川橋に差し掛かると

この辺は・・・・・と案内していたと聞きます。

今は製材所の数も、あるときから外材に押され、めっきり少なくなり

ました。




那賀川橋北岸詰めにある、今も盛んな製材所です。




那賀川橋、北岸を少しさかのぼると岩脇地区があり昔は筏師や

製材関係者の宿泊旅館、料理屋が立ち並び、宿場街のような

感じを古庄地区とともにかもちだしてます。


病院に行くことで投稿の時間が遅れる場合がありますので

ご了承ください。