上がって若い2人と喋っていると現れました。
ミトシ君とツクchan


左がTHUKUCHAN(造道卓)・・・TSSC&プライベートブランド グリーンフラッシュSBのヘッドシエーパー(サーフボードの形に削る職人)徳島市出身、海部在住で内妻ローカルであり海部ポイントのスペシャリストの1人でもあります。
右がミトシ君・・・地元牟岐町出身でTSSCのファクトリーマンの1人で内妻ローカルの1人でもあり熟練のクラフトマンでもあります。サンディングを担当。
注)・・・サーフボードの製造工程は分業制で各専門の職人が担当します。

造道卓(ツクリミチタカシ)がシェープするプライベートブランド グリーンフラッシュSBは徳島市内サーフショップUSAで取り扱っています。詳しくはbookマークしたのサーフショップUSAをクリックしてください。

そんなこんなしていると現れたのがTSSCの工場長のみーYAN!
          

左から同行の吉岡 ヤンヤン ツクチャン ヤス君 現れたミーヤンこと
宮本亨工場長 ミトシ君ミーヤンもいい波乗りしますヨ!
TSSC工場長 宮本亨君との思い出・・・地元牟岐町出身で内妻ローカルの1人です。彼が大学生のころからの知り合いで、彼が福岡の大学在住、1974年頃
当時パイオニアモスサーフボードの出川三千男(現・・・ノーブランドのオーナー)
と善家誠 阿南の尾崎守と私4人で営業目的で私のチョット知り合いの福岡の焼肉屋さんに発売間もないニッサンキャラバンで向かいました。福岡について宮本君に連絡しようにも番号を知らない当時付き合っていた服部さん(今嫁)の勤め先海部病院に電話して すみませんつかぬことをお聞きしますが、福岡にきているのですが牟岐の宮本亨さんの電話番号がわからないので、(その当時彼女の姓名知らなかったので)宮本亨さんの彼女お願いしますと申し込むとハイハイ服部さんネ!と快く教えてくれました。いいでしょうローカルっぽくて!個人情報その当時そんなのくそくらえって話、規制もよし悪し福岡で営業を終え宮本君が加わり一路宮崎へ!1974年当時高速道路はありませんので一般道をひた走り宮崎に到着 5人でサーフィンを楽しむことにその当時、善家誠はまだB級PROしかしあのWフィンを操らしたら天才でした。その後JPSA連戦連勝の快挙を成し遂げる。今は息子もがんばっています。アクシデント・・・出川三千男フィンで頭を切り2人で病院へ!きれいな看護婦さんばかりやなーと感心したバカな2人でした。その後サーフィンを終え宮本君、別府から汽車で福岡へ帰る?ときくと
そのまま徳島に帰りたいとのこと、サーファーらしく優柔不断な行動いいですネサーファーらしくて!そのまま別府から徳島にかえりました。宮本君は大学でデザイン選考でそれを生かし工場でサーフボードにエアーブラシでデザイン画を描くセクションを担当しています。
                    

お盆にはハルキCUPと称してORO&アマ混合のサーフィンコンテストも開催されます。もちろん私も毎年出ています。
そしてTSSCのファクトリーオーナー小野氏は地元の方を採用しサーフボード産業を地元雇用とし、地元に貢献されていると思います。後続の方が海に入ると同じくして内妻を後にすることに・・・・あすも続きます。