青年期から成人期の私~摩訶不思議大学受験からカップ麵に負けた栄養士まで~

 

 

大学は祖父の勧めで栄養士を目指すことにしました。目

 

特別に、看護師を目指す同級生と一緒に生物を教えてくださる先生がいて、

一年間早朝授業に出席しました。

 

先生は規律や風紀に厳しい人でしたが、

生物の授業は面白く、

先生のおかげで得意になりました。アップ

 

進学先は私立の女子大を目指しましたが受験失敗。ハートブレイク

次に選んだのは

かなり偏差値の低い、

家から近い大学でした。あし

 

受験当日。

 

何の気負いもなく会場に向かい

問題用紙を見た途端、

 

私は驚き思わず笑ってしまいました。笑

昨夜解いた問題そのものだったのです。!!

 

「百点確実、楽勝だわ!」100点

と思いながら解きました。

 

ところが、もやもや

午後からの試験開始直後から急に体調が悪化。

救急車搬送されそのまま1週間入院しました。病院

 

病室の天井の壁を

見つめながら

不合格を確信しました。汗

 

浪人するか就職するか迷っていることを

親に話そうと思っていた矢先に、

大学からの電話。電話

 

筆記試験の成績が優秀だったので、

面接と実技試験を受けてはどうか鉛筆

という内容でした。

 

両親は「これはご縁だから受けなさい旗と勧めるので、

言われるがまま受験し直し合格。ダルマ

入学式には一年生代表で挨拶する役を頂きました。

 

 

こんなラッキーは滅多にない

奇跡だし

大学や両親、高校の先生に感謝すべきです。ベル

 

でも

当時の私はこう思いました。

「試験問題が前日に解いた問題と全く同じなんてあり得ない。

こんな簡単に上手くいくはず無い。ダーツ

学年一番なんて嘘や。

社会に出れば楽をした分、きっと苦労するはず。台風

絶対に気を抜いてはいけない

成績一番で卒業しよう」炎

と決心しました。

 

 

大学生活で私は我利我利亡者ピリピリでした!

 

毎日通って欲張って全単位を取得しました。

一番前の席に座って聴講し、

優等生ぶりをアピール。100点

休み時間には

図書室に直行し本

独りで過ごしました。

 

成績にしか興味が無く、

実験や実習では実技をせずに

記録に徹しました。メモ

 

成績優秀なのに、

栄養士として

活躍する姿を私はイメージできませんでした。ブー

 

もちろん自信もありません。

 

国家試験に専念したいからと、

就職活動を全くしないでいる私に、

教授が大学助手になることを勧めました。

 

言われるがまま、

国家試験が終わってから

すぐ助手になるための研修を

2週間受けました。スーツ

 

しかし、

校風との水が合わずに

入社式初日に退職届を提出しました。ダウン

 

大学は4年で卒業

と決めていたから、

その後のことまで

考えられていなかったのです。ドンッ

 

その後私は、

大卒のフリーター

になりました。

 

近くで事務や販売のアルバイトをしても

何だか合わずに3ヶ月で辞めました。ハートブレイク

 

本当はもっと勉強したい、進学したいアップ

と思っていました。

 

 

でも

何をすればいいか思いつかず、

資格があれば何とかなるのではと考え、

医療事務や

簿記、

漢字検定など

片端から資格を受けて満足していました。あせる

 

管理栄養士という職業に就くことを

親に期待されているけれど、

その思いには答えられない自分泣

を責めながら。

 

病院実習で、

高血圧で心臓を患っている人が

引き出しに

カップ麵をたくさん隠し持っているのを

見せながら「病院食なんて不味くて食べてられるか!」むかっ

とおっしゃっていたこと、

 

給食実習で

食材の質の悪さを見てドクロ

「病気の人に提供する食事がこんなのでいいのか?

健康にして差し上げられない」と感じ、

がっかりしたことがきっかけかもしれません。

 

知識はたくさん詰め込んだけれど、

栄養士としての解決策は何も浮かばなかったはてなマークのです。

(つづく)