とことん、とんとん。 | Now or Then

Now or Then

long distance.

今日も朝から、「終わったこと」からのお誘い。



これに揺れるのは、人間。

その連絡をくれたのが、わたしの友人で間もなく出産になる女性。




まもなく生まれる新しいこと

そして終わった過去



この空間は情緒。




やはり、人は記憶に生かされます。





亡くなったとか

もういないあなただとか




人はその記憶を、自ら望んで寄生させます。




解釈の問題。

その後は開放と書きますね。





望んで寄生させてない、というのはある意味過保護。



記憶をね、餌にして囲ってはいけません。




記憶は、「残り香」なもんです。

その香りを、懐かしむから情緒だと。



それは、苦しみではなくエナジーですよと。

だから寄生を解釈しなきゃいけません。

解釈すれば、開放となる。




思い出は美しい、その通り。

綺麗ごとではなく、終わったことはすべて美しいわけです。




どんな哀しみも、どんな苦しみも、そんな甘美な生活もです。







確か、的確な記事があったと本棚をごそごそ。

十年以上前のSWITCHから、荒木さんを。



「悲しみは、心非ズと書く。哀れは人。
 
 でも人はこの心非ズにはなかなかいけない。

 だからね、人はセンチメンタルを大切にしたほうがいい。

 わたしは陽子を亡くしたが、

 その彼女に生かされている。

 花を撮っても思っているわけですよ。

 あいつに見せたら喜ぶんだけれど、この写真。

 物には正直意味は無い。

 バルコニーで撮る。

 そこから空を見るって決めたわけです。

 陽子に捧げるというのは、そこに自分がいる、

 そういう時を過ごすということ自体に捧げているわけ。

 でも、その喪失感を埋めることはしない。

 失ったら逆にめめしくくっついている。

 逆にエナジーをもらっている。

 愛の喪失は決してマイナスではない。

 陽子に撮らされている。

 だから被写体は自分。

 彼女と見た場所から撮るという行為。

 生かされているんですよ。」






そう。



決別とは、白黒ではないということ。

この曖昧で、もやもやした感情。


もし、あなたが記憶を寄生させていたならば


この年末、あなたから

開放してあげてみてくださいね。






そんな気分にルーペ。


今年は彼もよく聞いた。


彼のようなクラッシックが最近シーンに出てこなかったせいもあるけれど、

これは若い人にはすごく新鮮なんだろうな。


今回のFL2は、ジェイムズ・ボールドウィンと、

ハワード・ジンからインスパイアされたと何かのインタビューでみた。


知線も素晴らしい。

リリックがきちんとトラックになっている。

止まらず、耳を流れる。

ということは、相当「うまい」ということ。


ファレル寄りになってないところ、きちんと次世代なクラッシック。

そしてPVラストのメッセージは興味深い。

シニカルにならず、心地よい強さだった。