七夕の前日、伯母が亡くなった。
夜、私がお風呂に入っていた時に
スマホが何度か鳴っていたようだ。
ちょうどお風呂から上がったタイミングで
るぅが「ばぁばからだよ。」とスマホを差し出す。
とりあえず「服を着てからかけ直す。」と
るぅから母に伝えてもらった。
夫が「何度か鳴っていたし、ちょっと心配だな。」
と、いっきに私を不安にさせる。
改めてかけ直すと、すぐに母が出た。
そして話し始めた声があっという間に
泣き声に変わったかと思ったら
「おばちゃん、亡くなった…。」と。
あと1ヶ月位かもしれない。
そう聞いてからわずか1週間しかたってない。
私も途端に涙が溢れたが
母の手前、気持ちを抑えた。
通話を終了してから
子ども達に聞かれたくなくて
声を押し殺して泣いた。
伯母が余命宣告されてから
いつかこの日がくるとは思ってたけど
信じたくない気持ちもあった。
色んな理由があったけれど
私は結局、伯母の病気がわかってから
一度も会う事がなかった。
あの元気だった伯母の病気の姿を
見るのが怖かった…。
でも伯母の最期は、本当に幸せだったと思う。
50代で伯父が亡くなった後
伯母は一人娘夫婦と家を建てて同居。
正直、そこから生活が転落してしまった。
伯母夫婦はかなりお金もあったし
伯父の保険金も多額だった。
だけど元々のお金遣いの荒さや
娘旦那の度重なる借金やらで
あっという間にお金は無くなってしまった。
元々娘旦那は、実の親も見放すヤバい気質があり
伯父というストッパーがなくなってから
更に拍車がかかってしまった所がある。
結局娘夫婦は離婚してしまったが
離婚後も元妻名義で借金を繰り返してた
親の離婚からか、伯母の孫2人
特に下の子は不登校や入退院も繰り返してた。
伯母はそんな孫の面倒を見ていた。
伯母家族はお金がなくて、妹である母から
何度かお金を借りていた事もあった。
そんな関係もあり、母と伯母も疎遠気味に…
伯母が病気になってから貸したお金は
結局返されぬままになった。
伯母自身も、返せない引け目があったのか
伯母から母へ連絡してくる事が
無くなってしまったようだ。
母は金の切れ目が縁の切れ目になってしまったようで
貸した事が正しかったのかと悔やんでた。
伯父が亡くなってから色々あったけど
最期は自分の娘が自宅で伯母を看取った。
しかも2人の孫は、それぞれ結婚して
下の孫夫婦は同居し、ひ孫まで産まれて
一緒に暮らす事ができた。
それを思うと、伯母の最期が幸せだったと
私も母も、安堵する思いだった。
久々に会った伯母の娘である従姉の姿に
私は少なからずショックを受けた…
あまりにもやつれてしまっていたから。
従姉が今まで、どんなに苦労してきたのか。
伯母の治療費に、ボーナスさえも注ぎ込んだ
と母から聞いていた。
どんな思いで自分の母親を看取ったのか
考えるだけで、胸が痛くなった。
従姉のこれからの人生が幸せであってほしい。
幸い、従姉の娘達2人の旦那さんは
どちらもなかなか年上の優しい人だという。
父親には恵まれなかった分
旦那には恵まれて欲しいと心から思う。
驚いた事に、従姉の上の娘夫婦は
親がどちらも離婚しており
お互い父親の名字は名乗りたくない!って事で
亡くなった伯母の名字を継いだという。
そんなやり方もあるのだと
目が覚める思いだった私
私は義父が嫌いすぎて、密かに夫の名字が
ものすご〜くキライだから
私の父は男兄弟が2人で(後は姉3人)
叔父は結婚はせずに亡くなっている。
私の弟は障害があり、結婚も難しい。
だから本当は、私の名字を残したかったー
義父が嫌いすぎて、こんな名字残す価値もないと
思ってしまう…。
人生て、ホント色々ある。
