これは過去の記録です。
弟と私が病院に着いた所で
詳しい説明をと、先生に呼ばれた。
部屋に通されると、画像を見ながら
先生からの説明があった。
結論から言うと
父が倒れた原因は脳幹出血だった。
脳幹。
脳の中でも一番重要な部分。
しかも父は血液をサラサラにする薬を服薬していた。
そして、こちらの病院に到着するまでに
1時間以上という時間がかかってしまった。
その為、出血が広範囲になっているというのだ。
あまりの急な状況に、受け止めきれなかった。
医学は進歩してるから大丈夫。
そんな夫の励ましが思い出され
何にも大丈夫じゃないじゃん。
絶対大丈夫なんてあるわけない。
そんな八つ当たりのような気持ちさえ湧いてきた。
血液をサラサラにする薬の効果がきれ
出血がとまらないと
今の状態では手術ができないと言われた。
また、助かったとしても
寝たきりになる可能性が高いとも…
ただ、まだ66才と若いので
全力で助けたいとは思っていますと話された。
絶望しかなかった。
先に1人、現状を聞いていた母は
どんな思いでいただろう。
その後、父のいる病室に行った。
ベッドで横たわる父は
もう全く意識がなかった。
呼んでも答えない。
頭には包帯だかタオルが巻かれ
気管切開されガーガーという音が
病室に響いている。
しばらくして、夫がるぅを連れて病室に来た。
るぅはいつもと違う雰囲気
いつもと違うじいじの姿に固まっていた。
近づこうとしない。
こんなのイヤだよね。怖いよね。
でもその時私は
るぅにかける言葉も出てこなかった。
るぅは夫に、病室の外に連れ出してもらった。
その日、母と弟が病室に泊まる事となった。
私は母達が泊まる為に必要なものを準備し
病院へ届けることに。
その際、父が入院するために必要な物の準備も頼まれた。
前あきのパジャマがないからと
2枚買い出しにもでかけた。
それを届けたあと、私達家族は帰宅した。
本当なら私も父についていてあげたかった。
足の不自由な弟に居させるのも心配だった。
でも弟が自分で残ると言ってくれた。
2ヶ月のゆぅがいる以上
私が病院に残る選択肢はなかったから。
ただ、母達も明日は1度帰りたいという事で
次の日入れ替わりに私が残ることになった。
家に帰ってからも
るぅ達のお世話をしている時はまだ良かった。
夜、皆が寝てしまったあと…
私はネットで何度も何度も脳幹出血を検索した。
でも…
出てくるものに
予後がいいものなんて1つもない。
調べれば調べるほど目を覆いたくなる。
それでも探してしまう。
本当にキリがないと思った。
助かったとしても寝たきり…
この言葉も重くのしかかった。
私は介護の仕事を10年ほどしていたから
ある程度の知識はあるつもりでいる。
でもまさか、こんなに早く
しかも寝たきりの状態からの介護かもしれない…
母の負担は?
弟の事は?
弟は今は何とか自力で歩いてはいる。
でも将来的に車椅子になる可能性も多いにある。
亡くなっても、つらい。
助かっても、つらい。
こんなのってない。