これは過去の記録です。
家に戻った私は、夫に事の顛末を話した。
「今は医学も進んでいるし、絶対大丈夫だよ。」
そう言って、夫に励まされた。
そう信じたい気持ちと、絶対なんてある
そんな気持ちで揺れ動いていた。
それから母の連絡を待ったが
なかなか来なかった。
益々不安が募ったけれど
今は待つ以外にできる事はないのだ。
何時間たっただろうか…
従姉より連絡が入った。
どうやら母は携帯を持って出なかった為
電話番号を覚えていた母の実家に住む
母の兄に連絡したらしい。
母の実家も、同じ市内にある。
そこから母の兄の娘である
私の従姉が連絡をくれたのだ。
「おじちゃん、危ないって聞いたけど大丈夫
病院行くなら私送っていくよ。自分で運転していくの危ないでしょ。」
危ない
そんなの知らない
お父さん、危ないの
頭の中がパニックだった。
半泣き状態で
「でもゆぅが…。ゆぅがいるから、どうしよう。」
と、言うと
「一緒に連れていけばいいよ。面会してる間、私見てるから。」
そんな従姉の言葉に促され
病院に連れて行ってほしいとお願いした。
従姉の家も比較的近く、すぐに迎えにきてくれた。
車中、従姉から話を聞いた。
連絡を受けた母の兄の話では
父の容態が限りなく思わしくないこと。
弟は母の兄が病院へ連れて行ってくれたらしい。
その病院も、家から1時間以上もかかる
隣の市の脳専門の所へ運ばれたと…
てっきり近くの総合病院に運ばれた
とばかり思っていたからショックだった。
それでも従姉の前で取り乱すこともできない。
早く、早く病院に着いて欲しいと思ってた。
やっと病院に着いてから母の顔をみた瞬間…
「お母さん、ごめんなさい。私のせいでお父さんが…」
そう口をついて出た。
「バカ、あんたのせいじゃないよ!」
そう言われるも、溢れる涙が止まらなかった。
車中、ずっとずっと今までの事を考えていた。
2人目ができ、母とギクシャクして
父が間に入ってくれたこと。
妊娠中も私や、るぅの事を心配し
できる限りのことを尽くしてくれた。
ゆぅの障害の事を改めて説明した時に
「まいったな…」
心の底から絞り出すような父の言葉が忘れられない。
私はたくさんたくさん、父に迷惑をかけた。
心労が絶えない毎日だっただろう。
私が妊娠中、夫が高熱を出してダウンした時も
私に代わって父が、夫の点滴をうちに
病院に連れて行ってくれた事もある。
自分の体調が悪い時でさえ
いつもいつも私達を助けてくれた。
父は無口で何考えてるかわからない人と
私は思っていたけど
意外と弱い人だと母が言っていた。
孫が出来てからの数年は、父にとっても
心配の連続だったと思う。
ストレスをかけ続けてしまった。
そんな思いが私の頭の中を
グルグル駆け巡っていた。