これは過去の記録です。
ゆぅ、生後62日
休日の午前中だった。
母からの電話が鳴る。
るぅが電話をとったようで
「ママに代わってだって。」
と、2階で洗濯を干していた私に
受話器を持ってきた。
私が電話をとると、母はひどく慌てた様子で
「なんかお父さんが変なの。どうしよう。」
と、繰り返す。
ただ事じゃないと思った私は
「すぐ行くから
」
と、夫に子ども達を任せて実家へ向かった。
車で数分の実家には、すぐに着く。
玄関を開け、家の中に入ると
ソファーに座っている父がいた。
目は虚ろになり
「暑い、暑い。」と言って服を脱ごうとしている。
呂律も回っていない感じだ。
脱ごうとする服もなかなかうまくいかない。
母が説明する。
「お父さんトイレに行って帰ってきたら、変なの。踏ん張ったけど、出なかったみたいで。頭も痛いって…。」
「これはもう、救急車呼ぼう。」
そう言って、私は119に連絡した。
私の心臓はバクバクしていた。
るぅの時に何度か救急車を呼んだとはいえ
こんなに気持ちが焦ることはない
私は母に父を任せて、救急車が来たら
すぐ誘導できるように外の道路前で待った。
1人外で待つ間、震えが止まらなかった。
焦る母の手前、自分がしっかりしなきゃと
なるべく冷静につとめていたつもりだった。
だけど、怖いものは怖い。
聞こえてきた救急車の音を確認し
車が見えると、手を振ってこちらを知らせた。
気づいた救急隊員の方が、こちらの誘導で
庭に救急車と共に入ってくる。
救急隊員の方を父のいる部屋に案内した。
父の意識はかろうじてあったようで
救急隊員の方に気づくと
「早く…早く…」
と、しきりに訴えていた。
担架に乗せられる父。
その瞬間、ゴボッと嘔吐する。
慌てて洗面器を当てるも
床に嘔吐物が飛び散ってしまった。
父の状態がどんどん悪くなっていくのがわかった。
本当は救急車に母と乗っていきたかったが
まだ二ヶ月、完母のゆぅを置いては行けなかった。
母には1人で救急車に乗ってもらい
後で連絡を貰うことになった。
救急車が去ってすぐ、なぜか部屋に
救急隊員が持っていたバッグが忘れられている
私はそれを持って、すぐさま全速力で走った。
今ならまだ間に合うはず
何とか追い付いて、返すことができた。
きた道をとぼとぼ歩いて戻り
部屋の中に戻る。
しんと静まりかえった部屋。
弟が呆然としていた。
「これだけ片付けちゃうね。」
私はそう言って
床に散らばった嘔吐物を片付ける。
頭の中がごちゃごちゃだ。
「とにかくお母さんからの連絡を待とう。とりあえず私は家に帰るから、何かあったら連絡して。」
そう弟に告げて、実家をあとにした。