これは過去の記録です。
波乱の年始を迎えた年。
るぅは、4月から幼稚園に入る。
そのちょっと前の3月始め
私は気分が優れない日が続いていた。
何となく予感がして
違うよなーと思いつつ、妊娠検査薬を試す。
なんと陽性
本当に驚きだった。
だって、不妊・不育治療で
10年かけてやっと授かって…
2人目はもう諦めたはずだった。
だから、子ども用品もみんな処分したし
家も、子ども部屋は1つしか作らなかった
保管していた凍結胚も
これ以上のお金はかけられないと
夫と何度も話し合い、破棄してしまった。
まさか2人目ができるなんて
思いもよらなかった。
その日の午後に病院へ行くと
6週くらいだと言われる。
夕方から、腹痛とまた出血が始まった
たちまち不安になる
るぅの時を思い出すと
無事出産までたどり着けるのか。
また出血や張りとの闘いが始まるのか。
入院になったら?るぅはどうする?
何よりまた、周りの手を借りないと
生活が出来ない日々になったら?
今後を考えると
喜びより、戸惑いが大きくなってしまった
と、言うのも母に匙を投げられてしまったのだ。
これは完全に私が悪い。
私が今まで母に頼りすぎてしまっていたから。
るぅの妊娠がわかってから産まれるまでずっと
自宅安静や入退院をし
その間のほとんどを母が助けてくれていた。
仕事が忙しかった夫にかわり
産まれてからも、母に頼ってばかりいた。
だから、2人目妊娠を告げた時
「やっと解放されると思ったのに…」
と、言われてしまった。
そんな言葉を言わせてしまうほど
母を追い詰めてしまっていた。
でもやっぱり産まない選択だけは出来ない。
したくない。
そんな時、間に入ってくれたのは父だった。
この3月で退職を迎えた父。
普段あまり自分の気持ちを言わない父が
「お母さんに何か言われたか?」
と、聞いてきた。
「言われたけどそれは私が悪かったから。」
すると父が
「今度は俺が頑張るから、心配せず産んだらいい。
お母さんだって、ちゃんとわかってくれる。」
そう、言ってくれたのだ。
本当に嬉しかったし
私自身も変わらなきゃいけないと思った。