ついにこの春

東京大学大学院に入学した。
正式には明後日が入学式だが
授業自体はもう始まっていて

とても充実した日々を送っている。

授業は楽しい。

もともと文学を専攻していた僕にとって
突然の数学的公式や科学的考え方は
戸惑うことが多いけれど

こういうのを「水が合っている」
というのだろうか。

とても興味深いし
聞いていてわくわくする。

先日、演習授業で
研究生のプレゼンを聞いた。

7月には僕も、彼と同じように
みんなの前で自分の研究を発表しなければならない。

僕に、できるのだろうか。
とても不安だ。

けれど、せっかくだから、与えられたチャンスだと思って
全力で、このフィールドで戦ってみたい。

同期の仲間はとても優しくて
わからずおどおどしている僕にやさしく接してくれる。

というか、僕はまるで転校生だ。

先輩もやさしい。
隣の席の先輩が
僕と同じで他大生だったらしく
色々と相談に乗ってくれる。

心強い。

彼らと同じこの場所で
精一杯いい成果を残せるよう

決意を込めて。
明けましておめでとうございます。
前回のブログから間が空いてしまって申し訳ない。

何件かメッセージが来ていたようなのだが、60日を超えてしまったため閲覧が不可能となってしまっていた。

送ってくださった心やさしい方に申し訳がない。
けれど、これだけは伝えたい。ありがとう。


僕はというと、年末年始は帰省。
それまでは実は卒業論文に追われていた。
第一文学部に所属する僕は17,18に卒業論文提出だった。
なんとか提出してきた。

とりあえずまだ口述試験や発表大会が残ってはいるが
ひとまず卒業に向け前進、そしてちょっと安心といったところだ。

今はテスト期間が近づいているため、
レポート作成に追われている。

そして、最近の僕はというと、もっぱらアルバイトに明け暮れている。
今やっているのは議員会館のアルバイトとNHKのアルバイト。

残念ながら守秘義務があるため、詳しいことは書けない。
聞きたい方は個人的に頼む。

どちらも非常に勉強になる良いアルバイトだ。
稼ぐのが目的では少しできないが。

これらで毎日、電話応対の仕方や敬語の使い方
そしてお茶出しのスキルを身につけている。

そもそもこれらのアルバイトを始めるきっかけとなったのが就職活動であった。

僕が就職活動を始めた時にショックだったのは
自分の社会経験のなさだ。
そして、礼儀作法のなさ。

無礼な人間になりたくない。そんな思いで僕は、
今、必死で社会に溶け込める人間となるべく

否、社会で輝ける人間となるべく
日々精進を重ねている。
出国の前日までアルバイトをしていた。

バイトはボランティアの講演会のMC。
その、企画者である。T氏。
思えば彼に僕の人生は大きく揺り動かされた。

僕はこのT氏の誘いでMCをしたり
アルバイトがてら仕事をもらっていたりしたのだが

T氏は
面白い試みを常にする自分を
毎回のように誇張し自慢しては

ついてきてくれない人を腰抜け共と罵り
大きなことをいって人を魅了しながら

失敗したときには
「君がすべて悪いからだ」
と責任転嫁をするような人だった。

当時の純粋だった僕は
彼の言葉に振り回され、気に入られようと必死で

持ち上げられては舞い上がり
罵られては落ち込んだ

だが、今思えば貴重な経験をしたと思う。

そもそも彼が僕に留学の話を持ってきたのだ。

「アメリカのボランティア団体のところで、勉強しながら住み込みで働いてみないか」

それが、僕が留学に向けて動き出したそもそものきっかけだったかもしれない。

しかしT氏の口癖は
「自分で動け。人に聞くな。細かいことをぐちゃぐちゃ気にされるとすべてのやる気がそがれる」

だから僕は何も追及しなかった

いつから
いくらで
いつまで
どこで

聞けなくて
飲み会に借り出されては
話が進んでるからもうちょっと、と待たされた。

いつまでたっても進まないと思った。
自分で動かなければと思った。

僕が動けば、事態が変わると思った。

それで、急いでいたのかもしれない。

昨年まで僕は、このT氏によって人生を狂わされたと思っていた。
時間も、計画も奪われた。

けれど、T氏のこの提案や投げかけがなければ留学にすら踏み切らず
院試験にすら踏み切れず
なにも事態は変わっていなかったのかもしれない。

だから、今となっては
良い経験ときっかけをくれたということで
感謝の気持ちすら抱いている。

T氏はおそらく、今もどこかで
僕のことを新しい餌食に向かって

「結局自分が動かず俺のくれてやったチャンスをものに出来なかったやつがいた」
とほらを吹き、
大好きな陰口をたたき続けているのだろう。

そう思うと、少し面白い。

僕は、あなたとであったことで
そして、決別したことで

最高の経験と喜びを手に入れました。
だから、ありがとう。
東京で早稲田大学の学生をしていた僕。


実は僕は休学というものをしなかった。
そんなお金の余裕なんてうちにはなかったからだ。

そもそも僕が格安の留学ツアーを申し込めなかったのも
留学奨学金を取ることが出来なかったのも

すべて僕の英語力の不足が原因だった。

でも留学は行きたかった。
当時の僕はもう大学3年生になろうとしていた。
就職活動も大変なこれからの時期。

これが、ラストチャンスだと思った。


マレーシアの話を聞いて、
例の先生にアポイントメントをとって
体験談を伺いつつ
相談に乗っていただくことにした。


デング熱というのをご存知だろうか。
マレーシア・・・というか、東南アジアで怖いものは、
この病気である。

蚊を媒介に感染すると
高熱にかかって大変なことになるらしい。

これに注意することだけとりあえず念を押された。

あとは・・・

「とりあえず行ったら何とかなるよ!」

といわれてしまった。

留学がどのようなものか
しっかり理解できていなかった情けない当時の僕は

不安を感じながら
インターネットで関係のない情報を
検索しては集めていた。


虎穴にいらずんば虎児を得ず

それがモットーの僕は
とりあえず
何も考えずに
とびこんでみることだけ決意した。
18日。
金曜日。

この日からまだ一週間たっていないのに
遠い昔のことのように感じる。


眠れなかった。
ご飯も喉を通らなかった。
5時にやっぱり目が覚めて
「自分の大馬鹿野郎」と盛大に罵った。

地獄のような時間だった。
まるで死刑判決を待つ殺人犯のような。

テレビは頭に入らない。
早稲田の試験勉強は身に入らない。

それでもいい時間つぶしと
無理やり机に向かった。

英語を洗いなおした。
緊張で強張った頭では何一つ解けず
それがまた危機感を煽った。

家の中で僕はのたうち回り続けた。
正直睡眠薬に手をつけて
起きたら合格発表が出ているような
そんなことができたらどんなに楽だろうと思った。

記憶を誰かに飛ばして欲しいと何度も思った。

一次の結果発表とは違い
合格発表は家で確認できた。

けれど、2時に僕は家を出た。
じっとしていられなかった。
だけど怖かった。

勉強をすべきなのに
単語帳はまったく頭に入らず
それでも自分で自分を必死に激励しながら勉強を続けた。

これでやめたら合格していても取り消されてしまうような強迫観念があった。
同時に、早稲田の勉強なんてしたら東大が遠のくような気がして怖かった。

追い詰められた僕の気持ちは八方塞だった。

本郷三丁目。毎日通った。
この道を、まだまだ通い続けたかった。

改札を通った後、
僕は怖さの閾値を超えて
もはや無我の境地に至っていた。

すでに3時は回っていた。結果は出ていた。
怖いから少し遅れ目にでたのだ。

合格発表の場所に、もう人はあまりいなかった。
周りの声は聞こえなかった。
夢中で前日と同じ場所に向かった。

階段を登っているとき、携帯のバイブレーションが鳴った。

母親からだ。

あまりに連絡が遅いからだろう
携帯を開きながら
同時に
僕は自分の番号を探った。

僕の

最初の


第一声は


「お母さん・・・・・!」

電話口から不安そうな沈黙が漏れた

瞬間

「受かったよ・・・!」

母の嗚咽が聞こえた。
反則だ。

僕にも涙が溢れてきた。
何度も番号を確認した。

でも涙が抑えきれず

恥ずかしくて逃げるように校舎の端に逃げた。

何度もおめでとうと喜んでくれる母に、
心から感謝を述べたかったが

感極まってうまく言葉に出来なかった。

もしかしていまの番号は幻想か見間違えだったのではという
受験生特有のマイナス思考が働いて

短い電話の間に3往復もした。
今思い出すと恥ずかしくて顔から火が出そうだ。


僕はこのとき初めて
東大の構内
教室の中以外でマスクをはずした。

僕だってもう東大生だからだ。

久しぶりに感じた風はもう秋の雰囲気を帯びていて、少し郷愁を誘った。

母との電話を終えた僕は、順番に携帯電話のアドレス帳を久しぶりに開けて
昨年の9月からずっと夢見ていた
「進路報告」を

大切な友人ひとりひとりにはじめた。