この日も朝から天気が悪かった。

曇りだ。

17日、木曜日。
長かった一週間がもう後半だなんて信じられなかった。

9時半に一次筆記試験の合格発表
10時半から受かった人だけ面接試験

前日は眠れるわけがなかった。
なんとかなんとか寝ようとしたが

結局5時頃に目が覚めて
そんな自分を恨んだ。

たい焼きが喉を通らなかった。
でも験を担いで無理やり胃に入れた。

ヨーグルトとチーズは無理だった。

前日は何気に面接を想定して何度も何度も練習を重ねた。
その度に

「これで受かってなければ滑稽だな」

と自分を自嘲した。
東京大学や教授について何度も調べ
あらゆる情報をネットを駆使して調べた。

ふとした拍子に2ちゃんねるにたどり着き
そこでは学歴ロンダリングについての論争が巻き起こっていた。

怖くなってすぐに閉じた。

就職活動中にも思ったが
掲示板は敵だ。

気持ちをどこまでも落とす。
自分が自分でなくなってしまう感覚にとらわれるのだ。

この日は9時30分に家をでた。
時間をつぶすので必死だった。

電車が本郷三丁目に向かっていくのが怖くて仕方なかった。
近づくにつれ鼓動は早くなっていった。

足に痺れが走った。
駅名がコールされたとき、自分の体に緊張が走るのがわかった。

大江戸線から地上にでるまで
長い長い階段とエスカレーターがある。

それを登るのが怖くて仕方なくて

「いやだ。僕はここで帰る」

と何度も思った。
ふと、昔の自分に手を引かれた感覚がした。

「大丈夫だから」
そういって、背中を押された気がした。

僕はもう、感覚に頼ることにした。
このときはもう、どうにでもなれという気分でいっぱいだった。


赤門をくぐると、なぜか変な列が出来ていた。
それと、分散する人々

すでに合格報告をしているような受験生が認められた。
僕は愚かしくも道に迷う。

ようやく、列の出来た先の室内に合格発表があると気づく。

並ぶ。
鼓動がもうわけがわからないくらい早く脈打つ。
逃げ出したい怖い逃げ出したい。
頭ががんがん痛かった。
涙が意味もなく溢れそうになる。

とりあえず必死に、
無心で自分の受験番号を探した。


あった。


喜びで麻痺したように全身に力が入らなかった。
そんな状態で、とりあえず母親に合格報告をしなければならないと必死で携帯のボタンを押した。
その指は麻酔をかけられたように力が入らない。

「受かったよ・・・!」

母は非常に喜んでくれた。

それが嬉しいと同時に
早くも私の頭は次の面接でいっぱいだった。

報告も適当に終わらせ面接を理由にきった。
まだ感慨に浸るのは早すぎる。

合格掲示の階段の両端から
泣き声が聞こえてきた

「しょうがないよ、今回は」
そんな声がたくさん聞こえてきた。

となりのドレスの番号も、その次の番号もなかった。

僕は、残してもらえた。
その期待に、こたえなければいけない。

安堵するより、気が引き締まった。
おそらくこのとき変わったのは歩き方だ。
初めて自信をもって東京大学構内を歩いた。

僕は待合室にまわされた。

一次合格者は8人。
募集人員は7人。

まだ、落ちる。そんな気持ちが僕の背中をたたいた。


部屋には仲のよさそうな数人の内部生がいた。
始めてこの部屋で、
僕はマスクをとった。
もう顔は見られてもよさそうだ。

緊張しながら座っていると、全員が集まった。
聞き耳をたてて聞いていると、どうもこの8人は全員内部東京大学生のようだ。

一人、理学部が交じっていることを除けば。
僕は「落ちるなら自分」というプレッシャーを感じた。
周りからも正直、無言のプレッシャーを感じた。


あらかじめ、面接の質問が配られた。

・何故この学部を受験したか
・試験の出来はどうだったか
・修士を終えたあとどうするつもりか
・今後の研究はどうするつもりか
・その他

と書いてあった。

「試験できなかったとか応えたらだめだろ」
「研究計画はとってもつっこまれるぞ」
後ろで繰り広げられる会話に、僕の気持ちは完全に翻弄されていた。

僕の面接は最後から3番目だった。
時刻は11時半になろうというところだった。

部屋に入った途端変な空気が流れた。
僕が固すぎたのだろうか。

これまで何十回と受けてきたどんな就職試験の面接より緊張した。

それもそのはず、この日は5対1だった。


すでに終わった人の話と違う。
僕はとことん突っ込まれた。

なんだか、落とそうとしている気がした。

僕は面接中、必死だった。

「何故わざわざ?」
「君の研究は難しいかもしれない」
「方法については考えているのかい?」
「博士になる気はあるかい?」

とことん突っ込んだ質問がなされた。
そのたび、前日に研究した先行研究を引っ張ってきたり
とりあえず気概だけ見せた。

特に
「君は文学部出身だけどなにか今後に活かせる得意分野はあるのかい?」
といわれてはっきりと言えなかったことは
致命的だし
恥ずかしかった。


面接が拷問に感じた。
「ありがとうございました」
そうやって部屋を後にしたとき

なんだか絶望が迫ってきた。

足早に東大を去り
電話で親に泣きつく。

自分が情けなかった。
マイナス思考にしか考えられなかった。

合格発表は次の日の3時。
面接が終わってからこの15時間。

人生で一番長かったかもしれない。
そして、地獄のような時間だった。

もしも落ちたら
19日の土曜日には早稲田大学の大学院試験が迫っていた。

けれど、もしも落ちたら
平常心で受験を受けることができる
そんな自信は毛頭なかった。

早稲田も落ちたら

僕は路頭に迷うしかなかった。
6月に決意とともに捨てた内定と多くの選考。

今更頭にちらついて
残しておかなかったことに後悔した。

目の前が真っ暗で
泣きたかった。
でも
合格発表まではとりあえず泣かない。

それだけが僕の支えだった。
一日目を終えた僕は
どきどきしながら東京大学を後にした。

僕はスターバックスが大好きだ。
だから受かったら
本郷三丁目の駅からスターバックスに寄って
それから毎日赤門に行きたいって

そんな妄想をしていた。

家に帰ってからはどきどきがとまらず
早く寝なければいけないのに
5時まで勉強が手につかなかった。

ちなみにお昼ご飯は西友の298円弁当だった。
なんだか自分に申し訳ない。

東大に受かったら
これがしたいな
あれがしたいな

そんなことより
先輩や友人に
早く朗報を伝えたいと思っていた。

就職活動で大きな壁にぶち当たった僕は
たくさんの人に支えられ
たくさんの人に心配をかけた。


その筆頭が僕の親だ。
早く合格して
僕の両親に
「東大生の親」っていう
ブランドを用意してあげたかった。

直前にでた単語がまんまと出た一日目があったおかげで

僕はHPやWikiを漁りながら
なんだかんだで気がつけば日付の変わる12時まで
勉強を続けていた。

テレビが頭に入らなかったから
緊張とは裏腹にまったくつけていなかった。

親と電話する以外
友達とコンタクトはとってなかった。
早く連絡したかった。


朝、やっぱり6時に目覚めた。
7時15分まで眠れず、7時には起きていた。

たい焼き、ヨーグルト、チーズを食べた。
見るものなんて専門科目にはないのに
自分で作ったノートをずっと見つめていた。

試験前の25分が
英語のときより長く感じた。
この試験は3時間。

となりの内部生が、他の内部生から
「教授がここでるってよ」
という情報をもらっていた

そんなのずるいじゃないか!
僕は泣きそうになった。

でも、裏腹に闘志も燃えた。
こんなやつらには負けない。

となりのドレスが遅れてきた。
こなければよかったのに
そんな風に思ってしまう自分がすごく情けなかった。

今日の僕もやっぱりスーツを着て浮いていた。
でも、これは僕の勝負服だから
譲る気はなかった。
先日とはうって変わって暑い一日だったが

これまで就職活動を一緒に闘ってきたこのスーツと一緒に試験を受けるのが
自分自身誇らしかった。

僕は文学部出身だ。

今回の試験は転部試験も同様だった。
数学が出たのだ。

過去問を見た時点でそんなことはわかっていた。

文章はすべて埋めた。
隣の内部生より早く終わったことは自信になっていた。

数学に手をかけた。
まったくわからなかった。

僕は合格通知が遠のいていくような錯覚に落ちた。

怖かった。

でも、

僕はそこであきらめなかった。

負けたくない
ここまでずっと僕の成功を祈って
自分たちが忙しいにもかかわらず
お金がないのにもかかわらず

応援してくれ
手をかけてくれ
背中を押してくれた

そんな両親の顔が浮かんだ。

母親にもらったお守りの「気」も感じた。

僕が合格して
弟にこれをあげたい。

「お前も、僕に続けよ」

そう言いたかった。
そんな気持ちが

僕を突き動かした。


わからないのに、時間いっぱいまで粘った。
無理やり答えを出した。

終わったとき、僕の息は上がっていた。


やりきった・・・・

そんな気持ちで赤門を後にした。
実はこのとき、変な確信や手ごたえがあったが

口が裂けてもそんなことは言えなかった。

受験録

忘れないうちに
僕が東京大学を受験したときの

筆記試験2日間
面接1日間

を記しておきたい。

15日の朝。天気が悪く朝から雨が降りそうだった。
東京でこんな天気は久しぶりだ。
だから中学受験のときを思い出した。

高校は持ち上がり
大学は指定校の僕。

中学受験も、同じように
塾に行っていたわけでもなく
思い立ったように受けた。

周りの人は驚いた。
僕が突然受験したからだ。

誰にもいっていなかった。
今回と同じだ。

緊張の中、そんなことを思った。

このときの僕は、験を担いで朝ごはんに毎日
白いたい焼きを食べていた。

+ブラックコーヒーとチーズとヨーグルト。

朝ごはんとしてはしっかり食べていた。

7時15分起床。本当は6時に一度おきてしまっていたがしっかり二度寝できた。

朝から単語帳を洗う。
昨日の夜からあわせると、一周できた。

8時15分出発。
大江戸線で本郷三丁目まで。
火曜日朝の電車は混んでいた。

ただ、他の路線と比べ、大江戸線はある程度使用者が少ない。

インフルエンザにだけはかかるわけにいかないと
僕は3日間マスクをずっとつけ続けた。

BGMは嵐のBEST.
嵐の応援ソングは僕の気持ちを前向きにした。

電車の中でも単語帳を見た。
もう意味がないのはわかっていた。でもやった。

これが雌雄を決した。

僕が今回の受験から学び、受験生に一番伝えたいことは

直前の勉強が雌雄を決するということだ。
神様は見ている。

「直前に何をやっても同じ」とよく人は言うが、

これは確実に都市伝説だ。

東京大学の赤門は
説明会と過去問の購入で慣れたものだったが
まだちょっと恥ずかしさが残った。

このときの自分を大きく持てたのは
顔を隠せるマスクがよかったのかもしれない。

格好はスーツ。
もちろん私服が多かった。
隣の人はドレスだった(落ちてしまっていたが)

逆隣の人は大きな目覚まし時計を取り出して
神経質に何度もトイレに行っていた。
列の端の人間と話していたことから内部進学生とすぐにわかった。

集合は9時35分だったが
試験のスタートは10時きっかり

問題が配られている間私は落ち着かなかった。
年齢層がバラバラのこの中で
自分がどの位置に今いるのか不安だった。

試験が始まる前は本当に心から緊張した。
そんな緊張を察してか監督員が

「皆さんでおはようございますと大きな声でいいましょう」
といってくれた。
これもよかった。

その後、スタート。
直前の空白の2分間は
「僕は天才」と何度も言い聞かせた。

おっちょこちょいな僕は恥ずかしながら過去問の時点で気づかなかったのだが
英語の全訳問題は
3題のうちから2題選ぶ形式だった。
制限時間は1時間45分。

余裕だとおもっていたがこれが意外とギリギリだった。

計算用紙が配られる。
そこに最初に全訳をしていたが、そんなことをしていたら間に合わないと途中で気がついた。

一問目と三問目を選択。
二問目のキーワードの単語の意味がわからず、これはすぐ決まった。

一問目は難なくクリア。
正直直前まで見ていた単語は出てくるし、
わからないものは意訳でどうにでも省ける副詞ひとつのみ。

三問目も調子がよかったが
制限時間ギリギリになって
キーワードのrelevantの訳し方が正しいか自信がなくなって怖くなった。
でも直してる時間はなかったので
突き進みながら神に祈った。

ギリギリ時間内にはすべて解き終え、
回収の終わった後トイレに駆け込み辞書をすみまで確認した。

合っていた。

僕は心から安堵して早くも泣きそうになっていた。
留学期②

僕がまず向かったのはマレーシア。

何故マレーシアか?
当時の僕は話すことが出来なかった。
英語がまったくわからなかった。
そんな状態で高いお金を使って
観光を楽しんでいる余裕はなかった。

僕が求めていたのはある程度自主的な動きを必要とされ
英語を確実に話さなければならない環境

そのために日本人が極力いないところを選びたかった。

あとはとにかく安いところ。
死なない程度に安全なところ。
新しい経験のできる日本と違うところ。
情報の手に入るところ。

少し複雑で申し訳ないのだが
実はうちは実家が塾だ。

父が経営者。
母が塾長をしている。

その塾に勤めていた先生の
お父様は商社に勤めている方で

マレーシア勤務を多くされていた。

その先生自身が若い頃
実際にマレーシアで留学経験があったのだ。
(ただし家族でマレーシア)

そういう面で、非常に僕はラッキーだった。
マレーシアを勧められ
なんと幸運なことに
当時マレーシアに別荘を所持していた先生が

貸してくれることになったのだ。
居住費はただ。
情報は十分。

両親の理解も得られた。

⇒3へ
就職活動の話をしよう。

僕は結局大学院進学という道を選んだが
その選択肢に踏み切る6月まで

必死で就職活動をした。

僕の当初の夢はアナウンサー
マスコミに入りたかった。

途中から商社に入りたかった。

プレエントリーを含めたら
100社はやっているだろう。

それくらい必死にやった。
毎日2つか3つずつ、説明会や選考を回った。

就職活動をするまで、僕はとっても無知だった。
恥ずかしい限りだ。

当時は
内定が欲しくてたまらなかった。
未来が見えなくて怖かった。
ESが通らなくて泣いた。
友達と自己分析をし合った。

友達と受けて一人だけ落ちたこともあった。
笑ってその場は流したけれど
かえって一人で酒飲んで荒れたりもした。

あの時は必死だった。
必死で走り続けていた。