バランス | 芯

であい・きづき・まなび・つなぐ

自分がきまぐれであることに

無条件で



Yes!



が出せてると


きっと


外の世界にあるきまぐれにも


無条件で



Yes!



なんだろうなと思うようになったのは

畑のお世話にはまってから



ひとり畑にいるとね

ぼく以外が

とてもきまぐれに見えた


風は吹きたいように吹いてると思ったし

鳥は鳴きたいように鳴いてると

草は生えたいように生えてるし

雨は降りたいときに

陽も射したいときに

好き勝手やってる

ように見えた


そんな環境に

ぼくは振り回されてると思った


なんか


無力だな


とも思った


でも


その直後


ん?


いやいや


んなこたぁない


その判断の前提には欠陥がある



だって



好き勝手やってる思う根拠がない



好き勝手だったのは

ぼくだ


ん??

なんだこれ?

これはなんなんだ?

とんでもないことに気づいてしまった!!

前回の記事で

前置きを書かなかった

りょうすけです


まぁ・・・


きまぐれなんです


でね


バランスについて書こうと思うんです


この世界って

常に

完全に

全自動で

バランスし続けてる世界なんです



アンバランスってのは

願望みたいなことでしかない



とにかく

バランスしちゃうわけです


ことばを選ばずに表現すると

神の働きってやつです



そして



ぼくたちは

その神の働きを

使ってる



バランスは愛なわけです

わたしたちが気づける世界は

愛の表現だとも表現できる



なにもかもが

完全なバランスの結果として

気づけるわけです



ところが

ここに

課題があるのです



バランスはとれちゃうとなくなります

つまり

気づけない

つまり

世界はない

ってことです


でも

ぼくは気づきつづけているわけです


ということは


バランスするための何かが起こりつづけている


ってことになります


ぼくはそれを


ひずみ


だとするスタンスが好きです

そして

そのスタンスにたち

この世界に気づいているうちに



ひずみ=意図



だと

ひらめいたわけです


前置きに書いた

とんでもないことがこれなんです


気づき=創造=バランス=神の働き


ってことですね

ところが

創造するためには

ひずみが必要なんです

世界がここに現れる前には

ひずみが必要なんです

そして


ひずみ=意図


なのです

世界のあらわれの前に

意図はあるってことです


意図は意識の振る舞いです


まず意識があり

意識の振る舞いとして意図が生まれ

意図がカタチになって世界がうまれる


そういうことです

そういうことに気づいちゃったわけです


新しい世界が

いや

新しい宇宙が生まれた瞬間のお話でした


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