ヘイトだと 嫌われなじられ 敵となる
先週土曜日、テレビ東京のBS放送で渥美清氏のフーテンの寅さんシリーズ第48作「男はつらいよ 寅次郎紅の花」を放映していた。このシリーズは何作も観たが、この作品は初めてだった。この後に第49作「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」、50作「男はつらいよ お帰り 寅さん」が公開されているが、それらは過去の映像や存命の俳優陣を使った映像を足して作り上げた特殊な作品。本当の意味での最終作はこの第48作で、渥美清氏の遺作となる。撮影当時、氏は既に末期癌の状態にあり、立っていることはおろか座ってセリフを言うことすら難行であったという。辛かったのだろうなぁ。
さて、ここからが本題。
この作品の制作は1995年、今から27年前のあの阪神淡路大震災の年。ラストシーンはその震災の傷跡も生々しい街並みであった。寅さんが立ち寄った広場には、明るく踊りに興ずる人々がいる。復興への力強い動きを表したかったのだろうか。しかし、私はこのシーンを観た瞬間に、猛烈な違和感と嫌悪感を感じた。なぜか、それは踊っている者がみな朝鮮人の民族衣装を着ていたから。音楽も朝鮮の音楽のようだ。それを日本人らしき人々が遠巻きにして見ている。なぜ、その朝鮮人の踊るシーンが日本の復興への象徴になるのだろうか。確かに関西には朝鮮人が多い。だが、日本の国民的映画であり、その主役である国民的スターの、それも遺作ともなりかねない映画(実際そうなった)のラストシーンで、日本の復興を象徴しようとするシーンで、なぜ朝鮮人が踊る?なぜ踊らせる必要がある?この監督は馬鹿か?
心広い方々はそんな狭量なことではだめだ。人はみな平等。等しく隣人を愛すべし、などとのたまう。
クソくらえである。
子供の頃はよく分からなかったけれど、大人になって、家族を持ったら寅さんが面白くなった。だから、家族を連れて葛飾にある寅さんの銅像を見に行った。帝釈天にお参りもした。あの店で団子も食べた。記念館にも足を運んだ。楽しかった。
だから、寅さんには悪いが、観なければよかったよ。ホント、残念だ。