安楽死事件に思う:「ミリオンダラーベイビー」と「ジャック・ケヴォーキアンの真実」 | 黄昏オヤジの暴発日記

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退職後の第二の人生を手探りで進むオヤジのモデルガン+独り言。黄昏に染まりながら気まぐれに発火しつつ、この世の由無し事に毒を吐く(令和4年5月20日・タイトル一部修正)

 安楽死事件が話題となっている。

 

 これまで国内で発生した安楽死事件は、患者の病状や意思を十分に熟知した担当医が処置したものばかりだった。それに対し、今回の事件が特異なのは、担当医以外の医者が報酬を得て患者を安楽死させたところにある。

 安楽死には、積極的安楽死と消極的安楽死の2種類があり、今回の事件は積極的安楽死に分類されるらしい。ちなみに、何らかの(能動的な)方法で死に至らしめるのが積極的安楽死で、必要な延命処置を執らずに死なせるのが消極的安楽死というようだ。

 判例によれば、下記の4つの条件を全て満たす場合に積極的安楽死が容認される(違法性を阻却され刑事責任の対象にならない)らしい。

  ①患者本人の明確な意思表示がある(意思表示能力を喪失する以前の自筆署名文書による事前意思表示も含む)。

  ②死に至る回復不可能な病気・障害の終末期で死が目前に迫っている。

  ③心身に耐えがたい重大な苦痛がある。

  ④死を回避する手段も、苦痛を緩和する方法も存在しない。

 今回の事件では、少なくとも②「死が目前に迫ってる」に該当しないという報道があった。また、そもそも担当医でないものが判断するのは問題外であり、「安楽死」として議論する必要もないという意見もあるようだ。実行者の二人は嘱託殺人に問われるという。

 

 ALS(筋萎縮性側索硬化症)は全身の筋肉機能が低下し、最終的には呼吸も自発的に行えなくなる根治不能の難病らしい。ルー・ゲーリック病ともいい、あのスティーブン・ホーキング博士も長く闘病していたことで有名。

 今回亡くなられた女性も寝たきりで四肢はおろか指も動かすことができず、意思の疎通は眼球の動きによる視線入力装置に頼らざるを得ない状況にあり、栄養も「胃瘻」により外部から直接胃に入れていたという。

 この方の元気な頃の写真を拝見すると、大変はつらつとした、おそらくは何事にも前向きに取り組まれる活動的な女性にうかがえた。ご両親の自慢の娘さんであったに違いない。ならばこそなおさら、ALSにより全身の動きを奪われ、治癒の見込みもなく寝たきりの状態になったのはなんと無念であったことかと思う。この方の苦しみと絶望感が一体どれだけのものだったのか到底私には分からないが、それでも自らの死を望まれた気持ちは理解できる。支援者やケアスタッフは約7年間献身的に努力されてきたことと思うが、ご本人はそれをどう感じていたのだろうか。

 「空しい」というと不謹慎と言われるかもしれないが、ではほかにどう表現すればいいのだろう。

 

 安楽死というと思い出す映画が二本ある。

 ひとつは、「ミリオンダラーベイビー」。クリント・イーストウッド監督の作品で第77回のアカデミー賞で作品や監督賞など主要4部門を受賞した名作であり、ご覧になった方も多いと思う。家族から愛情を受けたことのない女性プロボクサーと家族も愛せない老トレーナーの関係を軸とした哀しく非情な結末の物語だった。未見の方にはネタバレで申し訳ないが、ラスト、老トレーナーは苦悩の末に、全身麻痺で寝たきりとなった愛弟子の希望を受け入れ彼女の延命装置を切り、いずこかへ去って行く。主人公の深い悲しみが心にしみこんでくるような本当に素晴らしい作品であるが、余りに哀しく、思い出しただけでも泣きそうな根性なしのオヤジは二度目の鑑賞をできずにいる。

 もう一つは「死を処方する男 ジャック・ケヴォーキアンの真実」というもの。これは正確には2010年のアメリカのテレビ用映画。日本ではWOWOWで放映されただけのようなので、未見の方が多いだろう。バリー・レヴィンソン監督、アル・パチーノ主演という豪華な布陣で、エミー賞やゴールデングローブ賞などを受賞するなど出来の良い作品であった。実際、私も興味深く飽きずに観ることができた。この作品で取り上げられたケヴォーキアンとは実在した医者であり、自分が開発した「タナトロン」あるいは「マーシトロン」という名の自殺装置で130人の患者を安楽死させたといわれている。ウイッキペディアによればケヴォーキアン医師は1989年から安楽死活動(自殺幇助?)をはじめ、1998年に殺人罪で起訴され有罪となり収監。2007年に仮釈放で出所し、その後は実際的な安楽死活動は行わないが、死ぬまで安楽死に掛かる啓蒙活動に従事したという。この人物の自殺装置は患者がスイッチを押すことで作動する(患者が最終的に自らの意思で死を選択する)ものであるため、その限りにおいては殺人罪に問われることはなかったようである。1998年に起訴されたのは、患者がALS(筋萎縮性側索硬化症)で完全麻痺のためスイッチが押せず、代わりにケヴォーキアン医師がスイッチを押したことが殺人に当たると判断されたようである。しかもその様子がビデオに収録され報道されたたため明るみになったみたい。作品の細かな内容まで記憶していないが、主人公については常人とは異なる異常者といった描写ではなくごく普通の人間といった感じで、ドラマも比較的淡々と進んだように記憶している。確かに異常者然とした人物であれば、130人もの人が自らの死の介助を依頼するはずはないだろう。それなりに信念を持ち信頼できる人物であったと考えるのが妥当だろう。

 

 自分がALSや事故で全身麻痺になるなんて想像もしたくないが、もしそうなってしまったらどうしよう。懸命に努力する医者やケア作業に献身的に従事する介護スタッフの方々には本当に頭が下がるし、決して否定するわけではないけど、でもね・・・ ずっとこのまま、家族や他人の手を煩わしながら生きながらえるのか。妻や娘に経済的負担を強い、趣味や娯楽を楽しむ機会を奪い、彼女らの人生から笑いや喜びを消してしまう存在でいなければならないのか。そんな絶望感に打ちひしがれているときに、そんなとき、「申し出」があったら、どうしよう。 

 

 料金が掛かる?いくら?100万円、200万円?いいよ、それくらい。痛みと絶望からの解放と安らかな眠り、それに家族の自由を得られるのであればバーゲン。もっと払ったっていい。申し出に感謝するよ!・・・でも、あなたが殺人罪に問われるかもよ?いいのそれでも?まぁ、まるで神様みたい!まさに天の助け。ありがとう!

       

     な~んてね。そのときは、誰も責めないでね。そんでさ、許してあげて。お願いだから