糖尿病に対しての向き合い方が変わったきっかけ。 | もっとのんびりハッピーに♥︎25歳からの2型糖尿病ライフ

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25歳で2型糖尿病を発症した私simvaの、のんびり幸せな毎日を綴るブログです。
糖尿病は私を変えたひとつのきっかけだと思う今、もしも少し前の私のように前向きになれず悩む方がいれば少しでも元気になって頂けるきっかけになればと思います☻

糖尿病と知った当初と今とでは、向き合い方、考え方が変わりました。

私は糖尿病になった当初、退院後に糖質制限を必死に行いました。
炭水化物や甘い物、コーラやスタバが大好きな私に炭水化物量(糖質)を制限する事は皆さんと同じように辛さを伴いました。

お米が食べたい、ラーメンが食べたい…
いつも頭の中にあるのは
『あれが食べたいこれも我慢か…』という考えばかり。

コンビニでも、いつも同じような物をお昼ご飯に買い、夜ご飯も私の食卓にはお茶碗はなく、おかずも食べれないものは我慢。

そんな生活に早く慣れなければ、私は健康を更に失ってしまう。

そう思いつつも、情けなく部屋で泣くこともありました。

食材の糖質量もひとつひとつ調べました。
コンビニでも外食先でも炭水化物量とにらめっこ。

本は頻繁に本屋さんで購入して読み漁りました。

様々なブログを見て
おからパウダーを買ったり、
低糖質の調味料もたくさん買いました。

数カ月して、効果が現れました。
感激したのと同時に、ここまでしなければ健康は保てないのだと実感しました。

これを一生かぁ。

弱音を吐きたい訳ではなかったけど
こんなに必死に食べ物の事を考える生活を一生続けることは私には無理だと思いました。

なぜなら、達成感はあっても楽しさはなかったのです。
ただ、健康のため。
私は絶対に糖尿病を原因に生涯を終わらせたくはない。
それだけでした。

だから、
街中で自分より太り気味の女の子がクレープを頬張っていれば
『なんであの子が食べれて、私は食べれないの?1ヶ月に1回位、食べれたらいいな…』
と思ったりもしました。

自分が悪いのに、そう考えては
頑張ってもどうせ私は食べれないんでしょ?と
やさぐれていたかもしれません。

時々、もうどうにでもなればいいのに!
とヤケ食いをしようとしたけど
怖くて実際にした事はありませんでした。

もう、これではやっていけない。

何か、もっと幸せに糖尿病と向き合う方法はないの?


そう考えながら生活していた頃、見た目にわかるまで減量できた私はダイエットの相談をされることが増えました。

『どうやったらそんなに痩せれるの?食べてるの?』
と。
『食べてるよ、すごく食べてる。全然楽に痩せるよ!ある程度の糖質量ならなんでも食べれるよ!』
そう答えた私は少しかっこつけていて、
もしかしたら少し嘘をついていたかもしれません。

だけど、楽しくラクをして痩せているという自分になりきると毎日の食事が楽しくなりました。
楽しく痩せているフリをするには充実した食生活をしていたい。
いろいろな物を調べて、できるだけ身近で購入できたり作れる物を見つけ、それを食べて、血糖値も上がらず、体重も減っていく。

それを痩せたいと話し、糖質制限に興味を持つ友人に
『これ、美味しいよ!糖質も少なくてね…』
と話すことが多くなりました。

逆に、友達が美味しい物を教えてくれることも多いです。

友達も痩せる。
私も痩せて血糖値は良好。
新しいものを見つけてもっと楽しもうと思えるようになった事でラクになりました。

初めは『なんで私が?世の中には私よりも太っていて、たくさん食べている人はいっぱいいるのに』
と思っていました。
でも、今は素直に糖尿病になってよかった。
そう思うのです。

このような発言は不快感と語弊があるかもしれません。

だけど、私は糖尿病にならなければ自分の体と向き合うことも、
ダイエットに本気で取り組むこともなかったのです。
健康の大事さ、体は食べるものでできているんだという当たり前の事も、実感として初めて知ることができました。

自分と向き合うと、欲も出る。

どうせ私なんて…
と思っていた何にも自信のない25歳の太った私は、変わることの楽しさを知ることができました。

変わるまでの過程も楽しむ余裕が出ました。

そして、先日診察の際に先生に初めて正直に話しました。
『今は楽しくてキツいと思うことはない。でも初めの頃は辛かった。』
そう言うと先生は
『それはなんで辛かったと思う?それはね、あなたは糖尿病というものを理解するのは早かったけど、糖尿病である自分に納得できていなかったからだよ。だから辛かったんだよ。今は自分に納得しているんだと思う。だから楽しくなったんだよ。』
と言いました。
今まで先生に弱音を言ったことなんてなかったけど、先生の全て分かってくれているような一言に私自身すごく納得しました。


私にとって糖尿病の発症は、私自身の成長を促す一つのきっかけとして大事な出来事だったと今は心から思えます。