気持ちの行方⑥
「ねぇ、チェさん」
そう呼ばれチェヨンは足を止めた。
声で気付いたが今更明るく返す気もなく、無言のまま振り返りその人物を見下ろした。
「あら、顔色が悪くない?」
「そうかな?別に何もないけど」
「貴方が主役なんですから体調だけは気をつけて下さいね」
「はい」
「そういえば、チェヨンさんは衣装合わせしましたか?先程スタイリストさんが役者を探していたので」
「そうなんだ。じゃ、行ってみるよ、ありがとう」
「いいえ、今日の撮影頑張りましょうね」
「ええ」
――さすがだな、タメ口にならないのは。
可愛らしく手を振る彼女から離れ歩き出すヨンは無意識に溜息を吐いてしまう。
このドラマに不満は全く無い。
だが、唯一の問題は彼女だった。
「・・・何で、彼女がヒロインなんだ?」
彼女の名前は“パクメヒ”という。
数年前までとあるアイドルグループの一員として活動していたが、契約満了に伴いグループは解散しそれぞれ散った中、彼女だけは事務所に在籍し俳優として活動を始めている。
そしてヨンはあのメヒと僅かな期間付き合っていた。
駆け出しの新人俳優だった自分と事務所の練習生だった彼女、まだ慣れない仕事の辛さを共有するのに時間はかからなかった。
だがそんなある日、次の年にデビューが決まった彼女は報告と同時に別れを告げてきた。
『・・・辞めるって言ってなかった?』
『数年練習生として頑張って漸くデビュー出来るのに何故辞めなきゃならないの?』
驚くヨンに彼女は不思議そうな眼差しでそう返してきた。
・・・え?ちょっと待って。
彼女の人生を勝手に決めていた訳ではないが、少なからず自分との人生設計に組み込んでいた自分がいる事にその時に気付いた。
自分の妄想と彼女にとってこの時間は通過点だった事に呆然となるヨンを見る事もなく、
メヒはにこりと微笑み、
「お互い頑張りましょうね」
「お互い頑張りましょうね」
そう言うと返事を聞く事なく彼女は去って行った。
暫くして落ち込むヨンの異変に気付いたマネージャーに問われ正直に答えると、彼は普段見せない険しい眼差しでヨンに話してきた。
『私個人の考えかもしれませんが、いつか貴方は俳優として大成します。だから若いうちから家庭を持つなんて事にならなくて良かったと思っています。もう少し“俳優”という仕事をしっかり考えて下さい』
『・・・はい』
その時は多少なりとも不満を感じていたが今思えばあの結末で正解だったのだろう。
お互い若い為、破滅の道を進んだかもしれない。
私情と仕事を両立出来る器にもまだなっていないというのに――。
そんな考えで過ごした数年間は仕事に集中出来た上に俳優として沢山経験を積めた気もする。
だからなのか、いきなり見る様になったあの夢も最初は疲れかストレスが原因だろうと考えていた。
しかし、似た女性の登場で考えがガラリと変わってしまったのも事実だった。
マネージャーにあのイベント参加者のデータを調べて貰おうか?
・・・いや、それは人として止めておこう。
「おっと、一応台本持って行かなきゃ」
手ぶらで向かっていた事に気付いたヨンは慌てて自分の控え室へと戻って行った――。
「ユ先生、近くで撮影をしているみたいね」
「そもそも江南なんてあちこちで撮影しているじゃない」
「イケメンなアイドルがいるかもしれないじゃない?」
「全く・・・」
ウンスの同僚がそわそわと窓の方へ顔を向けていたが、ちょっとと再び肩を叩いてきた。
「ねぇ、こっちに来てる集団は何?」
「集団?」
その言葉にウンスも同僚の横に立ち見下ろすと、病院入口付近に大きな機材を抱えた集団が集まっており1人が手を広げ何かを指示し始め、その集団は散り散りになり忙しなく動き始めた。
「何?ここでも撮影するの?」
「院内には入らないけど、建物だけ必要って感じね」
外から窓越しでも聞こえる程の声にウンスが眉を顰めデスクに戻ろうとしたが、
目の端に止まった何かに足を止め再び顔を集団へと向けた。
集団の中で頭1つ高い程の身長と時代劇でよく見る濃い青色の武官服を着た男性はスタッフの指示を受けているのか、片手に持つ剣を上げたり下げたりしている。
何故病院の前に武官服?という疑問はその男性の顔を見て驚きと共に消えてしまった。
・・・あの男性は。
「・・・これって、何のドラマ?」
「さあ?時代劇かしら」
「俳優の“チェヨン”が・・・いるんだけど」
「へー?“チェヨン”?数年前に恋愛ドラマ見てたわ。彼が出るんだ」
俳優の名前に同僚は更に浮き足立ち、撮影集団を興味深く見ていたが「あ」と小さい声を出した。
「あれじゃない?近くのお寺に行くとか」
「ここから?あそこで撮影ならわかるけど」
ウンスの不思議そうな顔に同僚が笑い、今はタイムスリップの話が多いと話し今彼女が好きなドラマもそうだと言う。
「ふーん・・・」
もはやそれは非現実的な展開になるとウンスはそれ以上話を広げる気は無かった。 ただ、最近見るようになった夢も予知夢とすれば、現実的ではないと感じてしまう。
実在していた男性。
ではあの背景は、どこかにある風景だったのだろうか?
「・・・彼のドラマを見てれば何時かは出てくるのかしら?」
「何か言った?」
「何でもないわ」
同僚の声にウンスはそう返した。
「・・・・ちょっと」
近くから聞こえる声に構う事なくチェヨンは聳え(そびえ)立つビルを凝視していた。
「・・・ねぇ、チェヨンさん?」
自分と同じくドラマの衣装に着替えたメヒは隣りに寄り再び呼ぶ。
しかし、今はそれさえ煩わしい。
いま、確かにあの女性の姿が見えた気がした。
カメラの動線の確認の為どの方向に見えたのかはっきりした事は言えないが、空を見上げた時一瞬だがどこかの窓にあの女性がいた・・・。
「・・・病院」
再び何かが頭の中を掠めていく。
――カチャカチャと響く金属音。
「チェヨンさんっ!」
「?!」
衣装の袖を引かれびくりと引かれた方を振り向くとチェヨンの腕に付く形でメヒが眉を顰め見上げている。
「な、何?」
「何回も呼んだのに、大丈夫ですか?疲れがあるんですか?」
チェヨンがふと周りを見るとメヒ以外にも心配そうに見ているスタッフの顔が見え、慌てて首を振った。
「すみません、大丈夫です」
「気をつけてね」
「すまない」
「午後から雨が降りそうだから早く撮るみたい」
「あぁ、わかったよ」
チェヨンは動き出したスタッフ達と同じく、
自分もマネージャーを探すべく足を動かした。
ウンスは渡された書類に目を通し顔を曇らせていき、それに気付いた同僚は肩を竦めていた。
「また、オ先生なの?おかしくない?どうして彼ばかりなのよ」
肩を怒らせたウンスは粗っぽい仕草で書類をデスクに叩きつけた。
これで3回目だ。
自分も学会に行きたいと伝えた筈なのに同行するのはいつも男性医師ばかり。
――もう、期待は出来ないかもしれない。
女性が医師として活躍出来る限界が近付いてきているのだろうか?
「彼が学会で私はイベントの講習係。結局こういう所で差が出るのよね」
書類の中に記載されていた学会報告の他に秋に開催される美容整形外科界隈の国際イベントもあり、ウンスはそのイベントの講師として名前が入っていた。
学会参加を申請した自分への気遣いだと考えているのか、はたまたあしらわれただけなのか。
どちらにしろ、ウンスの意思は1つも通っていない事は確かだった。
医師になり少なからず蓄えもした。
未来を見据えて貯金していた訳ではなく独立で無一文になる恐れもあるが先が見えない訳でもない。
――・・・これを最後にしようか。
ウンスは奥歯を食いしばり、
先程デスクに投げた書類を再び手に取った――。
⑦に続く
△△△△△△
そうよね、ドラマにはヒロインいるものね。
俳優業と医者は関わる機会てあるんだろか( °_° )?
という.....。

