
心、境界線①
居合わせたのは当然偶然だったが、近くの席に座ったのか?と問われればそれも何となくとしか言えなかった。
同僚から誘われるままに最近出来たという中華料理が美味いと噂の店に入ってみれば、数年前に傍で聞いていたよく知る声が聞こえて来た。
女性の声など皆同じだと思っていたが、過ごしてみるとなるほどそれぞれ特徴があるのだなとあの頃気付いたものだったが・・・。
しかし今は関わる事もすれ違う事も無くなってしまい、同じ職場だった彼女が違う病院へと転勤してからは連絡を取り合ってはいなかったと思う。
まだ電話番号は消していない。――多分。
「チェ先生?」
「あ、はい?」
「随分とお疲れですね、連勤で手術続きじゃ仕方ないですかね」
「違いますよ」
アン医師は少し前に地方から転勤して来た医師だが、ソウル市は初めてだと心配する割には手際良く聞くと有名大学を卒業したという。
実家のある地元で働こうと地方に行ったのだが、やはり最新の情報や機器を望む様になり数年働き此方に申請したとアン医師は笑いながら話していた。
その数年間は彼にとって苦ではなかったのだろうか?
そんな事を考えてしまう自分はまだまだなのかもしれない。
「・・・ユ先生ー!・・・」
斜め後ろの個室から彼女に声を掛ける女性の声が聞こえる。
「・・・んー・・・?」
「・・・何なのー?もう酔っ払ったんですかぁ?」
個室とはいえ薄い壁と隙間が開いた扉の中から数人の女性の声がする。
つまみを取る為に箸を伸ばしていた手がいつの間にか止まり、ヨンは無粋にも聞き耳を立ててしまった。
「どうします?タクシー呼びます?」
「どうしてー?まだ飲むわよ!」
「ダメですよ、絶対二日酔いで半日デスクに突っ伏ししてるでしょう?」
「しかめた顔で患者診られても、私達が困ります!」
彼女達はウンスと同じ職場の同僚なのか、さっさと帰った方が良いと促していた。
「嫌よ、私帰ってまだ皆で飲むつもりでしょう?私も残る!」
「誰がユ先生を運ぶんですかぁ?私は嫌です」
「私も」
数人の女性の声に思わずヨンは口角が上がるのを手で隠す。
過去に数度だけ彼女のそんな姿を見た事がある。
そんな時はストレスが溜まってしまった時で、酔い潰れる程に飲んだ後愚痴を散々言ってそのまま爆睡する。他人から見れば面倒くさい性格だと言うが、当時は何も思わず自分はそんな姿のウンスを見ていた。
「言いたい事があるなら言えば良いじゃない」
「何もないけど?」
そう返すと唇を尖らせ拗ねた顔になり、ため息を吐いてならいいけどと呟いていた。
――そういや。
ウンスが自分に対して笑わなくなったと感じ始めたのもその頃からだったと思う。
・・・理由は、何だろう?
昔の記憶に浸り会話が聞こえなくなり、我に返ったヨンは正面に座るアン医師に視線を移すと呆けているのか?と伺う様にヨンを見つめている。
「疲れたなら、お開きにしようか?」
「あ、いやそこまでは・・・」
「面倒だから、ヤン医師を呼びますよ?彼なら車で迎えに来てくれますから――」
「はあ?ヤン先生?いらないわ――っ・・・え?」
「ウンス」
背後にある個室の扉がいきなり開き、開いた空間を埋める様に大きな体躯が現れるとその場にいた女性達は呆然と見上げ、それに気付いたウンスも言葉を発しながら振り向いたが・・・。
「ほら、帰りますよ」
少し前屈んだヨンがウンスの荷物を拾いながら横にあるウンスの顔を見た。
「家はソウル市内?」
「・・・ええ」
「そう」
ヨンはウンスを個室から出そうと手を取り、チラリと部屋内にいる女性達へと視線を向け、
「ユ先生は俺が送りますので心配しないで下さい」
「あ、はい」
いきなり入って来た美形に驚きと困惑で短い返事しか出来ず、数人はコクコクと頷いている。
ウンスもまた繋がった手に目線を落としていたが、ヨンの顔へと戻し丸くなった目をまだ向けて来た。
「何で・・・?」
「何でって、まだ俺はあの病院にいますが?」
どちらかというとウンスが勤務する病院の方が離れていたと思う。なのに、江南区で飲んでいるとは、どういう事なのか?
「おーい、チェ先生?」
背後から声を掛けるアン医師もまたウンスを連れ出すヨンに驚いている。
「アン先生、また明日」
「ええ?」
一言言ったヨンはウンスの背中に手を回し、アン医師を一瞥して店を出て行き、こちらも唖然と呆けた状態だった。
店を出ても離せないウンスの手を握ったまま走る車を眺めていると、腕を引かれウンスが離そうともがいているのに気が付いた。
「離してよ、ここからは1人で帰るわよ!」
「・・・」
黙ったヨンに納得したのだと思ったウンスは、手を離してともう一度言おうとしたが、
「はっきり言っていいか?
ずっと俺だって我慢していたんだからな」
「・・・ッ?」
掴む手に力を込めたヨンはタクシーを探す事を止めるとツカツカと歩き始め、ウンスは反抗したが引き摺られる様に歩かされヨン!と声を上げた。
しかし、ヨンは顔だけ振り向く。
「言いたい事があるなら言えと何時も言っていたのはウンスだろう?」
「はあ?何なの、今更・・・」
「今更・・・、ああそうだな。文句だけは聞くよ」
「ちょっと・・・っ」
人気が少なくなった路地裏に連れ込み壁にウンスを押し付けると、睦言も無いままに接吻けた。
怒りでなのか何時もよりウンスの体温が高くなっていると感じながら、思い出した様に湧き上がる欲情と白く柔らかい肌を再び手に入れたいと細い腰に手を回し自分に引き寄せた。
街並みの騒音で消えてしまった舌が絡み合う音とウンスの吐息に、少なからずイラつきもっとと舌を深く忍び込ませ様としたが。
「イッ」
ガリッと痛みを感じ咄嗟に口を離した。
「相変わらずムカつくわね、貴方は!」
「・・・これで2回目だけど」
舌を噛んで来た女性はウンスだけではないだろうか?
彼女は知るかとばかりに鼻を鳴らすと、ヨンの身体を突き放し壁に付いた肩を叩き、直ぐにヨンを睨みつけた。
「欲求不満なら他を探しなさい!」
「・・・誰も欲求不満なんて言ってない」
「あらそう?具合悪そうな顔しちゃって、私は面倒なんて見ないわよ?」
ウンスこそ飲み足りないと騒ぐ程にストレスが溜まっているではないのか?
人の事をよく言うものだ。
ヨンが薄目でウンスを見つめるとその視線に気付いたのか、慌てて顔を背けた。
「・・・兎に角、1人で帰るから」
呟き路地裏から出て行くウンスの背中を見つめ、今度は手を伸ばすのをヨンは止めた。
「・・・」
イラつきと、動揺と、少なからず熱くなった身体と。
――俺の何が悪かったっていうんだ?
喉まで上がる疑問をぶつける前にウンスの姿は消え、
薄暗い路地裏にヨンはただ立ち竦んでいるのだった――。
②に続く
△△△△△△△
また違う短編のお話。
読んで気が付いたと思いますが、元恋人関係の2人です。
唯一言えるのはウンスが転勤した理由は、『ヨンが嫌だから』です。🙂
更新が開いてしまっておりますが、色々やってて気付いたら数日経つという😂
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