君に降る華(7)
女人は呆然とした顔で山々を眺めていた。
今迄空が曇っていた為遠くが見えていなかったのか、空と森と遠くの山を何度も見渡している。
「おい」
「・・・・・」
「女」
「・・・・・」
「おい、お前!」
「・・・はっ!おいって何?私はユウンスて名前があるの!次お前とか言ったら殴るわよ?」
「・・・名前を知らぬのだから仕方ないだろうが」
何故殴られなくてはならないんだ?
しかし今ので我に返ったのかユウンスと名乗った女人はヨンを見上げ凝視していたが、あぁでも、と自分の額に手を当てぶつぶつと話し出した。
「私にはあの先に町が見えるんだけど。
・・・でも、確かにこんな広い場所は知らないし・・・、えぇーどういう・・・」
「俺には家は見えず、森だけが見える」
ヨンがウンスの言葉に被せる様に話し、意見が違う事を伝えて来る。
「あの間は何も霧も見えないし、普通に晴れているんだけどなぁ」
「・・・少し待て」
そう言うとヨンはウンスの腕を掴み、木々から離れて行く。すると、今迄ざわざわと淀んだ霧の膜は薄くなり離れると消えてしまった。
「・・・消えた」
「白いのが?」
「何なのだ、あれは?」
この女人が近付くと現れ、遠ざかると消える。
まるで女人を通す為だけに現れている様にも感じ、ヨンは隣りに立つウンスと名乗った女人を見下ろした。
「・・・本当に天から?」
「・・・天?何それ?」
「昔、仙人や天界人は天の道からこの地に降りて来るという話を聞いた事がある」
「それは御伽噺じゃない?」
「何を言っている。それが今のおま・・・ユウンスの事だろうが」
「・・・・いやいや・・・・はは、まさか」
しかし彼はここを高麗だと言った。
そしてあの先にある街並みは見えないと言う。
ウンスもこの山々は知らないし、雪原自体実家の近くに無い事もわかっている。
ヨンに腕を掴まれたままだというのに再び呆然となるウンスを、ヨンは再び近くでその様子を観察していた。
――・・・まさかこんな事があるのだろうか?
見た事も無い服や髪色、肌や顔も高麗人とは違う。
だが、ウンスの今迄の会話は俗っぽくもあり、悟りを拓いた者には決して思えないのだ。
仙人にも天界の者にも見えないまだ未熟な思考の女人。正にそれなのだが。
「・・・例えるなら、半人前」
・・・まてよ、女人は医術を学んでいると言っていなかったか?
・・・修行中になるのだろうか?
天界の人々の位はわからないが、おそらくこの女人はまだ半人前なのだ。
そんな中、この地に通ずる道に知らずに入り込んで来た。
――迷い人の様に。
ヨンはふむわかったと見下ろしたまま頷いた。
「・・・ユウンスは知らずにここに迷って来ていた」
「・・・やっぱり、そう、なるの?」
「ああ」
「・・・ワァオ」
何て事だ。
そんなマンガや映画みたいな事が実際に起こるとは。
でも、と木の間に視線を移す。
「私にはまだ見えるって事は、まだ帰れるという事でしょう?」
「見えるのだからそうだろうな」
「良かったわ・・・!」
ウンスは安堵のため息を吐き、落とした袋に気付きあぁそうそう、と拾う。
「・・・まさかこんな事になるとは考えていなかったから、ただのコスプレ好きな人だと考えていた私も熟間抜けだわ。
・・・とはいえ、お土産は別」
ウンスはそう言うとニコリと微笑み、ヨンに袋を差し出した。
「貴方にあげようと思って」
「・・・何を?」
「蜜柑よ。家で栽培しているの、甘いわよ」
「みかん?」
知らない。
ヨンは戸惑いながらも袋を受け取り中を見ると、小さな果実が幾つか入っている。
「食べた事が無い」
偶に王様の食事で似た様な物を見掛けるが、平民の自分達が食する程の量は作られていないのだ。
「皮を向いて中のを食べてね。少し炙るとより甘くもなるわよ」
・・・天界では食べる事が出来るらしい。
栽培出来る程なのだから、皆に行き届いているのだろうな。
「・・・後で食べる」
「美味しいから」
ちらりとウンスを見るとまだにこやかに笑っている。
ヨンは再び袋に視線を移した。
実は先程から、怪しい者だと思っていた女人は実は天の者だった事実に、頭の中を必死に落ち着かせているヨンがいた。
自分は尋問迄考えていた、場合によってはと剣をも用意して。
疑心ばかりの日常で、女人にさえ剣を向けようとしていたのだ。
ウンスという女人は自分にこれを渡す為に待っていたというのに。
「・・・疑っていた。すまない」
突然のヨンの謝罪にウンスはきょとんと目を丸くしていたが少し間の後、苦笑してフイと顔を逸らした。
「この間、お前は騙されたんだ、と言われ凄い腹が立ったし泣きそうになったんだけど。どうしてか、スッキリしたのよねぇ・・・私は誰かに言われたかったんだわ、違うと否定してしまう自分にそうだろうと言って欲しかった。慰めじゃ無くて・・・」
友達からは優しい慰めの言葉を貰ったが、もやもやは晴れる事無く余計に落ち込むだけで、それが嫌でウンスは事情を知らない地元に暫く連休を取り帰って来ていた。
ヨンに話をしてしまったのは、何の知識も事情も知らない彼が客観的な意見をくれるのではないかと思っての事で。
結果は辛辣な意見を浴びせられてしまった。
だが、それが他人から見た自分だったのだ。
「・・・言われて、そんな男が好きだったのか?と自分に呆れちゃった」
「・・・・・」
話が終わり気持ちが済んだのか、ウンスは木に向かって歩き出した。
「帰るのか?」
「うん、それ渡しに来ただけだから」
そう言い、ウンスは硬い雪を踏み締め進んでいる。
「・・・・・」
ヨンが黙って見ていると先程と同じに木の間が白く濁りだし蠢く膜が浮かび上がってきた。
しかしそれは自分だけが見える事でこの女人は町が見えているのだ。
「あ」
ウンスはくるりと振り返りヨンを見る。
「貴方の名前聞いてなかった」
自分は名乗ったのに相手の名を聞かなかったわと言うウンスに、少し目をさ迷わせた後。
「チェヨン」
「チェヨンさんね。わかったわ」
そう言うとまた前を向いてしまう。
ヨンは、何も言わずそれを見送っていた。
面倒事が漸く終わったと考えているのに何かを言いたい気持ちもあり、しかし言葉が出て来ない。
顔を雪原の方に向けると、遠くに見える雪原の真ん中にウンスが作った雪だるまの小さい山が見える。
あれも徐々に溶けて消えていくだろう。
再び何も無いただの静かな雪原に戻るのだ。
良い事ではないか、漸く一人で落ち着けるのだから。
・・・なのに。
ヨンは顔をウンスに戻すと、既に木の傍迄近付き身体半分が消えそうになっていた。
「おい、ユウンス」
「え?」
「明日は?」
「は?」
「明日も来ると言っていなかったか?」
「え?聞いてたの?!何処で?」
「どうするのだ?」
「えー、蜜柑あげれたし・・・」
「では来ないんだな?」
「・・・わからないわー」
「あ?」
「晴れてたら来るかも!」
「・・・・・」
――晴れたら。
ヨンの眉が少しずつ顰め始めていくが、ウンスは消えながらも手を降り出した。
「その時はまた会いましょうねー!」
その言葉を残しウンスは消えた。
「・・・晴れたら?」
では、晴れた何時の日なのだ?
そこがわからないじゃないか。
「・・・朝か?・・・昼間?」
・・・そこを詳しく知りたかった。
「・・・何だよ、もう少し詳しく話してくれよ」
ぶつぶつと呟きながらも消えていく白い霧の膜を確認し、ヨンも踵を返して宮殿に向かい歩き始めて行く。
雪原に向かって来た時とは違い、気持ちが軽くなっている事を不思議に感じながら袋を軽く上げ中から香る柑橘系の匂いを嗅いだ。
「・・・良い匂いだな」
珍しい物だから、隊士達にもやりたいがそれ程数も無い。
「チャン侍医に一つだけならやっても良いか?」
――今日の俺は気分が良いからな。
そう言うとヨンは袋を下ろし、見慣れた道を歩き帰るのだった――。
(8)に続く
△△△△△△△
話が噛み合ったのと、約束はした様です(曖昧だけど笑)。✨
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