4月19日21時14分。 | 私は楽観主義者である。それ以外のものでいても何もならないと思えるから。

4月19日21時14分。

ブログはもうやめようって思ってたんだけど、
「思いを書いてみてもいいんじゃないか。」
と言ってくれた人がいたので、書いてみようと思います。

4月26日の今日は、父の57歳の誕生日になるはずでした。
2週間ほど前にSFから両親宛に誕生日プレゼントして二つの鉢植えのポットと
バジル育成キットを送ったけど、UPSの配達が雑でポットがひとつ割れていたそうです。

4月19日21時14分。
私の最愛の父が肝不全で亡くなりました。
56歳でした。

父が20代のはじめのころにもう、肝臓が悪いことはわかっていました。
私の大学受験の夏には肝細胞がんで手術したりはしていて、
それからも検査入院なんかはたまにしていました。
それでも父はスポーツが好きで、お酒は控えてはいましたが、
それ以外は活発に生活を送っていました。

55歳になり、役職定年を迎え、腰をすえて病気を治そうということで、
会社を休職して自宅療養をしていました。
それでも父は、一日も早く会社に復帰するためにがんばっていたし、
5月に切れる自動車保険の更新や、自動車免許の更新の手続きをしなければと
気にしていたそうです。

父は我慢強い人なので、私を含めて家族にできるだけ心配をかけないように
痛みやつらさをみせないようにしていたのだと思います。
家族は家族で、父は大丈夫だと信じて疑わなかったのだと思います。
私も父は少し休んだら、またすぐ会社に戻ると思っていました。

事実、3月の検査結果は良好でした。
「この調子でがんばりましょう。」
お医者様もそういって励ましてくれたそうです。

しかしながら、肝臓と言うのはとても怖い器官のようで、
残り3割をきるまでは表面化しないそうです。
そして3割をきってからはとても早いのです。

4月15日は母の誕生日でした。
その日の検査で父は、即入院を病院から命じられたそうです。
前回の検査と打って変わって、あらゆる数値が大幅に悪化していたそうです。
しかし、病院嫌いの父は、断ったそうです。
ところが、自宅に帰っても調子が悪そうな父を見かねて、
母が入院を説得したそうです。

それでも母は父の無事を信じて疑わなかったそうです。
入院なんて何度もあったし、今回もいつもの入院ですぐまた退院できるだろうと。

そんな母の様子を見てお医者様が母と弟を呼び出し話をしたそうです。
父の状態がどれだけ悪いのか。
「会わせたい親族がいるのであれば、呼んでください。」

その話を弟から聞いたのが、西海岸時間の17日の朝7時。
電話口ですでに私はもう泣いていました。
ただ不安だったんだと思います。
大好きな父がどうにかなってしまうかもしれないという恐怖でした。

すぐに会社の上司に連絡を入れ、飛行機のチケットを取り、
5時間後には飛行機に乗っていました。
電車の中でも、空港でも、飛行機の中でも、ただただ不安でした。
一生懸命神様にお祈りをしました。
私がどうなってもかまわないから、お父さんの命だけは助けて欲しいと、
一心不乱にお祈りをしました。一睡もできませんでした。

中部国際空港から電車に乗って、最寄の知立駅まで行き、
母に車でお迎えをしてもらい、そのまま父の病院へ向かいました。

8ヶ月ぶりに会った父は、酸素マスクをして病院のベッドに横たわっていました。
それでもマスクがむずむずするとごそごそ動いたり寝返りを打ったり、
私が話しかけるとしんどそうに返事をしてくれました。

「遅くなってしまったので、今日はもう帰るよ」
と言うと、首を横に振ってくれました。
だからそれからしばらくそこにいることにしました。
そのときは、思ったより大丈夫なように見えました。
少なくとも数日内に一度SFに戻って、また改めて休暇をとって
しっかり看病しようと思っていました。
でもその日はなんだか不安で、やっぱり眠れませんでした。

翌日も朝から病院へ行くと、一晩しか経っていないというのに父の様子は大きく変わっていました。
反応も薄くなり、お水が飲めないので口が渇いてもう何を話しているのかもわかってあげられなくて、
目もうつろになり、呼吸は荒くなっていました。でも必死に呼吸をしていました。

「お父さん、呼吸つらい?」

と私が聞くと、首を横に振りました。
父は我慢強いのです。

お医者様に頼んで私もお話を直接聞かせてもらうことにしました。
「数日の間とお考えください。」
と、お医者様が言いました。
一緒に聞いていた母はショックでよろめいてしまいました。

病室に戻って、さっき暑いからとお布団をはいでいた父が寒そうに見えたので、
「寒い?お布団かける?」
と聞くと、首を立てにふったので、お布団をかけてあげました。
父は声を振り絞って
「ありがとう」
と言ってくれたので、私も
「ありがとう」
と言いました。

午後にはもうほとんど反応をしてくれなくなってしまいました。
目は遠くなり、体もほとんど動かなくなってしまいました。

夕方には父が会社でとても仲良くしているご友人や上司が4人来てくれました。
父に話しかけてくれました。父はほとんど反応できないにもかかわらず、
力を振り絞って目を動かし、あー、と声を発して応えてくれました。

あっという間に夜になり、母は
「これからしばらくこうやって一日看病する日が続くから、今日はもう帰ろう」
と言いました。
私は帰るのが不安でした。だから帰りたくないといいました。
だけどしばらくして、父が明日も生きていることを信じている母の姿に
私も信じなければと思うようになりました。
そして21時少し前に病室を去り、自宅へ向かいました。 
弟だけ別の車で、わたしは母と同じ車に乗りました。

車内で私と母は努めて明るい話をしました。
できるだけ笑いました。
心の中で父のことを案じながら、敢えて全然別の話をして笑いました。

でも母の携帯電話がなってしまいました。
私が気づきました。病院からでした。
あわてて車をとめて、母が電話にでました。

容態が急変したから戻ってきて欲しいとのことでした。
戻る道中、二人で大丈夫、大丈夫と励ましあいました。

病室へ戻ると、父はベッドの上で心臓マッサージをされていました。
私は父の手を握って、無我夢中で「お父さん、戻ってきて」と叫んでいました。
何度も何度も叫びました。
その間お医者様が母に何か説明をしていました。
そして母に「もうやめなさい、聖子」と言われました。
父はすでに呼吸が止まっていて、家族が戻ってくるまでの心臓マッサージだったそうです。

父は我慢強い人です。
家族の前では決して生きることをあきらめなかったのだと。
家族の前では最後まで、自分は大丈夫だという姿を見せたかったのだと。

後悔していることならいくらでもあります。
東京の大学へ進学したこと。
東京で就職したこと。
海外に赴任したこと。
花嫁姿を見せてあげられなかったこと。
孫も見せてあげられなかったこと。
SFに呼んであげられなかったこと。
こんなことになるってわかってたなら、
もっとずっとそばにいたかったです。
好きなことばかりしていた自分は本当に愚かでした。

父が息をひきとってから、時間があれば泣きました。
30近くなってこんなにも泣くとは思いませんでした。
潮干狩りに行ったこと。
キャッチボールをしたこと。
駅の改札で私の姿が見えなくなるまで見送ってくれたこと。
父が育てた大好きなひまわりの横で笑っていたこと。
父の元気な姿やふとした会話を思い出して泣きました。

通夜や葬儀で父の会社の人に会い、
父が技術者としてどれだけ優秀だったか、
父が人間としてどれだけ上司から信頼され、同僚から愛され、
部下から慕われていたか、
知ることができました。
たくさんの人が父を見送ってくれました。
用意された席に座りきれなくて、会場の後ろにたくさんの人が立つことになってしまいました。

火葬場で父がお骨になって出てきたときに
少しだけ受け入れることができた気がしました。
あぁ、そうか。お父さんはもういないんだ、と。

お父さんは、何でも知っていて、優しくて、いつも私の味方です。
決してよくしゃべる人ではないけれど、誠実で、まじめで、頑固で。
小柄で色黒で、髪の毛はいつも七三にきっちりわけて、笑顔がとてもかわいらしい人です。
お父さんのことをとても尊敬しています。
お父さんことが大好きです。
私はお父さんの娘に生まれてとっても幸せだったし、今も幸せです。
お父さんの娘であることをとても誇りに思っています。
尊敬できる父だからこそ、反抗期もなかったんだと思います。

私のお家は神道なので、50日経つと父は神様になります。
父は神様になって私や家族のことを守ってくれるのだと思います。

思い出すと辛いけど、父のことは思い続けることに決めました。
とてもとても、大切な人なのです。
父が私を見守ってくれている限り、私は父を思い続けるのです。
親不孝な娘が今できる、唯一の親孝行です。

そしてこれから私は精一杯母を支えようと思います。
母は、能天気でどんくさくて天然で、明るさと愛嬌だけがとりえです。
少しでも込み入った手続きは全部、父に頼ってきた人です。
明るく振舞ってはいますが、とても落ち込んでると思うし、
手続き一つ一つにとまどっているのを見ると心配です。
実家に弟はいるけれど、遠くからでもできるだけサポートしなければと思います。

私はとても愚かでした。
当たり前ではないことを、当たり前だと思っていたのです。
どうかこの記事を読んでくれた人は、今まで以上に家族を大切にしてあげてください。
今まで以上に、家族との時間を大切にしてください。
どれだけ後悔しないように努めても結局後悔するのかもしれないけど、
だけどそれがこの記事の最大のメッセージです。

最後に、この件を聞いてすぐに電報を打ってくれた方、
電話やメールをくれた方、通夜に駆けつけてくれた方、本当にありがとうございます。
本当に励まされました。がんばらなくちゃ、しっかりしなくちゃと思いました。
たくさんの人に支えられているのだと改めて思い知りました。
本当に、本当に、ありがとうございます。

もう私は大丈夫です。次に会うときはさらにパワフルになっているはずです。
今回のことを通じて私はとても成長したと思うし、何より私にはいつも父がついていますから。

お父さん、大好きだよ。