過去記事とかぶりますが、バブル真っ盛りの1988年、鈴鹿8時間耐久レースに参加しました。 26位に今は芸能界を引退した島田伸助氏が監督を務めたTeam Shinsuke、33位に岩城滉一氏が監督を務めたTeam Iwaki by SANSEI RACINGが入っており、バブルの匂いがプンプンする時代です。

実はこの時、管理人はTeam Iwakiにて外人ライダー ジェフヘイノの通訳を務めておりました。伸介氏のピットが隣にありハイヒールのモモ子さんや、定岡さん、芸人たちが沢山応援に来ていました。

チーム監督の岩城氏はピットにはあまり留まらず、ライダーのピットイン時だけちょっと顔を出していた記憶があります。 とにかく地獄のような暑さで、ピットの中は蒸し風呂状態でした。きっと耐えられなかったのだと思います。  

通訳と言っても練習中や本番では殆ど仕事は無く、メカニックとはジェスチャーを交えながら会話は成り立っているようでした。 ところが、練習を終えプライベートの時間になると急に忙しくなります。 まず、ライダー仲間の所へ私を引っ張り出し、そのほぼ全員の通訳をさせるのです。  ケビンマギー、ウエインレイニーは勿論、ケビンシュワンツ、ダグポーレン、マイケルドーソンと数え上げたら切りがありません。 

通訳の内容はと言うと、ファンだという若い女の子が「何を言っているのか聞いてくれ」と言うのがほとんど。 有名ライダーもファンの女の子には優しいのか、下心があるのか良くわからないですね。

Team Iwakiは結果33位。 しかし一度、転倒したにも関わらず頑張った方かもしれない。  レース終了後、対戦チーム同士ユニフォーム交換が外人ライダーの間で恒例になっているようで、関係ない私もどこかのチームとユニフォームを交換した記憶があります。 当然そのユニフォームは紛失して、もうありません。 

今から思うと、大事に取って置くべきだったと後悔しております。 一番の問題点は1988年当時、オートバイにはまったく関心が無く、8耐やレースその物もあまり知りませんでした。 ウエインレイニー? 誰? って感じでした。 今思うと、何か貰っておけば良かったと後悔しまくりです。