前回「ラッピングペーパー」について書いたんですが、実は「プレゼント」そのものについてずっと感じている事があったので、今回はそれを書いてみます。


「プレゼント」「贈り物」って必要なのかな?って、実はよく思うのです。


もちろん「プレゼント」をあげて相手を喜ばせたいという気持ちはありますし、もらって嬉しい気持もあります。

その「あげたい」「ありがたい」っという気持が人の心を温かくするものだと思っていますから、プレゼントを贈り合う行為をやめるべきだと言いたいのではないのです。

ただ、このプレゼント、好きだといいな、役に立つといいなという気持で選んでも、もらう側は、好きじゃないかもしれないし、使う物ではないかもしれない。これは本当にしかたのない事です。

いらなかったにしろ、誰か他に喜んでもらってくれる人がいればいいのですが、最終的に行き場がなくなってしまう事も少なくないと思うのです。

人々の善意の習慣でも、現代社会のやり方で生産されている物だと、地球の資源を枯渇させて、汚染させている可能性が高いのです。

例えば、一度遊んだら壊れてゴミになるような$2ショップのおもちゃなんて、本当にむなしい事だと思うのです。でもPartyで子供たちが喜ぶから大人は使います。私も時々買ってしまいます。

一事が万事この調子です。喜んでもらいたいという善意の気持でも、その行為が、ひいては地球や人間の存在を危うくさせる可能性と、子供たちの未来を奪う可能性を持っているのです。

なんだか悲しい気持になってしまいます。

そして今の世の中を見渡すと「贈るという行為」よりも「贈り物が何か」ということが強調されているような気がするのは、私だけでしょうか?

「心」より「物」に重きが置かれている気がして悲しい気持になってしまうのです。


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人は愛されるために 物は使われるために 生み出されました
なぜ世界が混沌の中にあるのかというと
物が愛され 人が使われているからです




なぜこんな事になるのか・・・
こんな私の独り言を読んで下さる方は、きっと同じ結論に辿り着くのではないでしょうか?


そう「利益優先主義の経済活動」が原因だと思うのです。


企業はお金を儲けたいですからね、「どんどん買って!もっと買って!!」の心理作戦をかけてきます。人々の「欲」に火をつけるためにあの手この手を使います。これを持つ事がステイタス!これを選ぶあなたの感性は最先端!所有する事で、いつのまにか消費者は特別な自分になっていくのです。物を所有する事で自分自身に付加価値がついていくのですね。


でもね、ここで「洗脳」という戦略をもつ、企業=経済界 だけを責める事は、まちがっていると思うんです。だって企業だって、一人一人家庭に戻れば一般消費者なんですからね。

結局、一人一人の人間の「欲」が深くなっていく事が本当の原因なんだと思うのです。


「欲」というものについて、ぐるぐる考えています。

次回「欲」について詳しく書きたいと思います。


その前に、ちょっと心のなごんだ絵本のお話を最後に。


『ブルーベリーもりでのプッテのぼうけん』 エルサ ベスコフ著

おかあさんの誕生日の贈り物にしようと、ブルーベリーとこけももを摘みに出かけた プッテは、こびとのおじいさんに出会い、ブルーベリー森へとさそわれます。そして、魔法でこびとのおじいさんぐらいに小さくなったプッテのブルーベリー森で見たこと、経験したことは……。プッテは、あまりにすばらしく楽しかったので、帰る時間がきたとき、もっともっとこの森であそんでいたいと思いました。でも家にもどったときプッテは、おかあさんにあげるブルーベリーとこけももの実のいっぱいはいったかごをちゃんともっていましたよ。

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このプッテのおかあさんへの誕生日のプレゼントが本当に素敵だなぁと思ってね、世界中の人がこんな素敵なプレゼントを贈り合うようになったら、地球はとても素敵な惑星になるのにな~☆

と真剣に考えているのです。