
去年の年末の話だが
夜中の3時過ぎに何年かぶりに元夫からメイルが届いた。
その内容にビックリ!!!
”俺があげたコートとペンを返せ!”
???
訳が判らず、共通の友人でかなりの宵っ張りに連絡してみれば
「来年でよかったら僕が預かるよ。」とのこと。
「いや、大丈夫だけどなんで女性用のコートとペンなの?」
と聞いてみれば
「こないだ呑みの席でN.Yで働いていた頃の話になって
”そういや俺がサンプルで作ったコート、
あいつが持ってたな。
ペンも本当は俺が欲しかったものだから
返してもらっちゃえ!”
って言ってたんだよ。酔っ払いの話だから
気にしないで・・・」
と友達は言ってはくれた。
でも私の中には
”情けない・・・私が人生を共にしようとした人がこんなんだなんて・・・”
という哀しい気持ちと憐れみの気持ちしか起こらなかった。
「こんなんで年越ししたくないから大丈夫よ。
訳が判ってよかった。ありがとう。」
と友達に返事をしたあと
クローゼットをおもむろに私は開けた。
そしてその”問題のコート”はあるが、ペンは処分してしまった。
まずはコートを丁寧にたたみ、
彼と一緒に暮らしていた頃の服も全て
紙袋に入れて
彼の住む家の前へ置いてきたのだった。
まだ暗い明け方の年末は
ことのほか冷え込みが激しいような気がした。
そんな出来事で妙な拍車がかかり
翌朝、クローゼットや本棚など
”何か”をしまってある場所の再点検をする。
1年は使わなかったものは
殆ど処分するようにしているが
あんな出来事の後だったから
いつもよりも厳しく見直してみる。
この作業をしている時、
私の頭の中は不思議なくらいいつも冷静で
モノに対して何の感情すら入れずに
「これはいる。」「これはいらない。」
とサクサク仕分けてしまう。
なぜなら頂いたものは別として
自ら購入したものは
「本当に必要なものなのだろうか?」と
自問自答を繰り返し、自分の既にある持ち物と
頭の中で目の前にある購入するかどうかを検討しているものとを
照らし合わせながら購入しているからだ。
そうすると例えその金額が一瞬考えてしまうような金額でも
自分の身の丈に合っている、もしくは
頻繁に普段使いするものと判断すれば
その使った年数などと計算してみれば
結果、安価なものへと変わるからだ。
気持ちもモノも整理され
スッキリと清々しい気持ちが徐々に私の中で生まれてくる・・・
私が普段だけではなく旅行などにも使っている
頑丈なバッグを作っているメゾンが
昨年、博物館で展示会を行った。
その時、本国から職人さんが来ていて
ひとつのバッグができるまでの全工程を
作りながら披露していたが
通訳の方がこんなことを言っていた。
「私共のメゾンの商品をご購入頂いても
クローゼットに大切にしかも箱に入れたまま
しまっていらっしゃる方がおりますが
かえって床にポンと置いて
埃が付いたらさっと拭って
どんどん普段使いして頂いた方が
より長く使えます。」と。
確かに。
彼女が言ったような使い方を普段しているが
使う用途は多いのに
使えば使うほど手に馴染んでいく。
このバッグを購入する時に
年輩の女性の販売員さんに
どんな時に使うのか?
普段、私の持っているアイテムや好きなスタイルを聞かれ
鏡で全身を写されながら
「あなたの身長と体格ならこの大きさが一番いいですよ。」
と迷いのないまっすぐな瞳でアドバイスされたのが
今でも強く印象に残っている。
その後、当時はあった革の見本台帳とにらめっこしながら
革の種類や色、金具の色、バッグの縫い方
(内縫いか外縫いがあり、印象はまったく異なる)
などなどを細かく決め
できあがりまで何年か待つのだ。
連絡が来るまでの数年間。
私は”待つことの愉しみ”を教わった。
「みんなが持っているから。」
「有名人の○○が使っているから。」
などという理由で手にしたものは
大概、自分の普段の生活の使い方とは異なっていたり
実際に身に着けてみると
予想外にも似合わなかったりする場合も生じるだろう。
とにかく頻繁に自分の生活の一部のように
馴染めるものしか結局は飽きてしまうのだから。
先の”事件”があったおかげで
こちらは不用品の処分を済ませ、
以前から考えていた部屋の模様替えまできた。
そう!スッキリ、さっぱりと歳を超すことが
この出来事によってできたのだから
そう思えば今年は何かいいことがありそうな
そんな予感すらしているのだ。
さぁ、今年はどんなことが待っているのだろう?