活字中毒 | 簡素な暮らしーSimple of life

簡素な暮らしーSimple of life

日々の暮らしの中での”シンプルな”そして”簡素な”ものやことについて綴っています。





生まれた時から本に囲まれて暮らしている。
建て直す前の実家には母は母専用の壁一面に
作りつけられた本棚があり、
私も自分の本棚を貰えた時は嬉しくて仕方がなかった。

横浜に住む母の兄の家は
図書館さながらで
伯父の家に遊びに行く、というよりもむしろ
”蔵書を探しに行く”といった感覚が近かったように思う。
まだ子供だった頃、
”旧かなづかい”や”昔の漢字”などで書かれている本を手にすれば
まるで謎めいた暗号を解読するような
そんな気分で活字を追うことを楽しんでいた。

伯父は私と妹が小学校高学年に入ると
毎月、3冊ずつ、様々なジャンルの本が私たちに送られてきた。
古典から今、書店で売れているものなど
その年代の時に読んでおいたらいいかも・・・
という伯父のセレクトが毎月楽しみだった。

”知らなかったことを知ることができた悦び”!
これは何物にも代えられない
自分自身の”財産”として
自分の内面にどんどん蓄積されていくのだから・・・

そんな環境で育ったから
古典から純文学(勿論、日本及び諸外国も含めて)
軽いエッセイまで”食わず嫌い”は殆どない。

だが、好んでよく手にするのは
文体や表現力の美しい作家が多い。
なんでもそうだが良質なものに触れたり、囲まれて暮らしていると
それだけで自分自身の生活の質も上がる、と
信じているからだ。

人生は自分が思っているよりも短い。
それならできる限り良質のものに触れていたい、
と思うのが自然なのではないだろうか?

ある雑誌の編集長をしている友達がこういうことを言っていた。
「人のうちの本棚を見るのっていいよね。
その人が本当はどんな人なのか判るもん。」と。
かのブリア・サヴァランは
日々、自分がどんなものを食しているかで
その人となりが判ってしまう、と言ったが、
どうやら本にしても同じことが言えるようだ。

日々の暮らしの中で
少しの時間を見つけようものなら
本棚に手を伸ばす。

ページを開いた瞬間から
現実逃避をするかの如く
その作品の世界へと没頭するのだ。

TVを見ない日はあっても
本を読まない日はおそらくないだろう。
そのくらい私は”活字中毒”なのだ。

作家や編集の仕事をしている友人と
本の話をする時間も好きな時間のひとつ。
(ただし、かなりコアな内容にはなるが・・・)
互いの好みを聞きつつも
まだ読んでいない作品があれば視野が広がるし、
既に読んだ作品であれば
双方の感じ方や解釈は必然的に異なる訳だから
それらに対してディスカッションする時間もまた良いものなのだ。

それに同じ本を何度読んでも
その時の気分や年齢、生活の背景などで
毎回、感じ方は大きく異なる。
これは絵本など子供が手にする作品に関しても
同じことが言える。

電子書籍の誕生から
本棚のスペースを考えなくても良くはなってきたが
やはり、私は紙のページを自分の指で捲りながら
活字を追っていく行為の方が好きだ。

何年か一度、
本当に不要な本を処分する。
少しだけスッキリはするが
またすぐ本はあっという間に増えてしまう。

今まで読んだ本を全て保管していたとしたら
おそらく床はとうに抜けているであろう。
”シンプル、そして簡素な暮らし”を信条としているが
これだけは簡素化することが
なかなか難しいのだ。