簡素な暮らしーSimple of life

簡素な暮らしーSimple of life

日々の暮らしの中での”シンプルな”そして”簡素な”ものやことについて綴っています。

Amebaでブログを始めよう!





近所の友人がある時、ニヤニヤしながらやってきてこう言った。
「なぁ、すっげーカッコいいテーブル欲しくない?」と
そしてまたニヤニヤしながら
私の前で彼は「ほらッ!」と携帯の中の写真を見せてくれた。

「わ!」
かなり厚みのある、そしてアジのある1枚板のテーブルが
ドーンと私の目の前に広がってきた。
「だろぉ?今のテーブルよりもここには似合うと思ってさぁ・・・」
と更にニヤニヤする友人。
「いるッ!」
「・・・でさ、なんとこのベンチも今なら付いちゃう!」
「へ?」
もう驚きのあまり私には短い言葉しか出てこなかった。

それまであったテーブルはやはり1枚板だったが
ちょっと”趣味”とは違っていた。
だが、その時は必要に迫られていて
偶然、別の友達から廻ってきたものだった。

今回のように私は友達、あるいはその友達などを介して
古いモノで互いに”ひとめぼれ”したものは
廻り巡らすようにしているのだ。

「じゃ、今のテーブルは誰かいる?
あ、それとベンチも欲しいからうちから椅子でよければ
これも廻すよ。」と友人に現物を見せると
「あ、これなら○○が欲しがってたよ!ちょっと待ってて!」
と連絡してみた先の人は両方欲しい、とのこと。

10分ほどで全てが成立。

・・・ということはこのテーブルとベンチは
我が家へ来る運命だったのだ。

しかしかなり大きなシロモノ。
テーブルもベンチも重さはかなりのもので
男手が不可欠。
組み立ては簡単だ。何せ釘を1本も使わずに
木と木とを組み合わせてできていたから。
幸い、助っ人はすぐ見つかり、作業もとんとん拍子に進んだ。
そうしてくれた彼らに”お礼”を渡すと
今度はその”お礼”をそこで止めることなく
近所の同じく”巡らす仲間”がやっている店へ行き、
みんなでランチを摂ったのだった。

モノもお金も循環させるのがいちばん。
そうするとそこには
何とも言えない”いい空気”が流れるのだから。

今回の話しをくれた友人の趣味のひとつとして
器集めがあるのだが、
彼は江戸時代から明治初期、李朝と限られている。
それ以外の雰囲気のいい器が手に入れば
またそれを必要としている人の手へと廻っていく。

部屋の模様替えをしたから見においで!
と誘われて行ってみると
美しい江戸時代の皿や蕎麦猪口が
時代を経た日本の棚に飾られている。

「これは今、どんな風に使うか指南中。」
と棚の奥から見せてくれた李朝は
それまで見た中でも3本指に入るほど美しかった。
私もそうだが、私の周りの
時を経たものが大好きなひとたちは
それらをしまい込むことなく
どんどん普段使いにする。

使って、洗って、磨いて、修理して・・・
そうやって今のものと変わらない扱いをするのだ。
そして溜め込むことなく、多くなれば
また誰かが必要としているか声掛けするのだ。

”巡り合わせ”や”縁”という言葉は
確かに実存する。
ただし、自分のところで止めてしまうと
流れも自然と止まってしまうような気がする。

人間だから欲は勿論否めないし、
欲しいものは限りない。
でも、スペースや自分のキャパは限られているのだから
その中から更に”巡り合わせ”や”縁”のあるものを
少しだけ自分のモノにしておけば
またいつか向うからいろんなモノはやってくる。

私はいままでずっとそうやってきたから
本当に必要なものだけを
極力身の周りに置くようにしているから
シンプルに、そして簡素に暮らせているのかもしれない。