父の誕生日~~
週末に約1ヶ月ぶりの仕事復帰!
怒涛でした。泣かされたりーーどなられたりーーーいろいろありましたが、
やっぱり仕事好きです。なぜって、仕事するといい意味で現実に引き戻されるし、そして、パワーになるのね。
特に仕事が終わった後の何かした感がやめられない。
びっくりしたのが、、、病棟ナースから香典?のような意味合いの心遣いとメッセージも一緒にいただきました。アメリカってこういうことするんだ!前の病院ではなかったぞ!!
ぶったまげました。
でも香典返し??したほうがいいのか?とかちょっと悩むとこです。
みんなにおかえりーってハグされると涙腺緩むわー笑
私、やっぱりカリフォルニアが好きです。
昨日はちょうど生きていたら63歳の父の誕生日でした。
何度も空を見上げておめでと!!って言いました。
きっと49日まだ迎えてないからそこにいるよね!
父は死ぬ前に、
「人生悔いなし、懺悔なし、借金なし!」ってきっぱりいってました。
私は父が死ぬ前に、結構言うの恥ずかしいんだけど、がんばって、
「お父さんの子供でよかった、愛してるよ-、」ってしっかりということができました。それが言えたから私も後悔ない!
唯一の心残りは、、
父は年金をたったの1度しか受け取れなかったことと。。。(あんなに働いたのにーー)
これから豪遊してほしかったのにそれがかなわなかったこと。
父は短いながらも人生さっと駆け抜けていったよ。
おとうさーーん大好きよ☆見てますかーー!?!
父のように後悔のないきっちりとした人生をおくっていかなきゃ。まじで教訓です。
だから明日もがんばる♪
ただいまー
カリフォルニア到着ー
今回は初の経由があったんで、時間もかかり、まじでぢかれたー
某空港はすごく混んでて、とにかく入国に時間がかかる。
しかも私のビザは特殊でただでさえ時間がかかるのでなおさら。。
2時間45分かかりめでたく入国。
メールでSF行きの飛行機は遅れてるってきてたので、大丈夫かなーと思って航空会社に確認したら、わからないといわれ、あと15分で飛んじゃうぎりぎりのところだったので、とにかくダッシュ!!
でも死ぬ思いで着いたらやっぱり飛行機は遅れてて、また待ちました。
でもそのおかげで飛行機みすりませんでしたー
ところで、入国の際に、
若い日本人男性が入国審査官にパスポートを投げたうえ、暴言を吐いて、強制送還一歩手前になってました。
私のビザは必ず第二の入国審査を通らなければならないのですが、この第二の審査にくるビジターはさまざまで、私みたく永住権を待っている人、パスポートをなくした人から、書類が足りない人、明らかに怪しい仕事の人、態度の悪い人、等です。
まさしく上の彼は態度が非常に悪かったそうです。
たまにいるよね、アメリカ入国をなめてる日本人。
こっちはちゃんとしたビザ、しっかりした仕事持ってても、いつもどきどきなのに、その横で、
てか絶対大丈夫っしょーーーって大口たたいてる人。。。
日本人の航空会社で働いているやさしい女性がその彼に声をかけたら、
ちゃんとしたビザもってるのに、なんで入国させないんだ!!ってどなってて、
たぶんその女性もいらっとしたのでしょう。。
あなたは事の重要さを理解していない。アメリカはあなたみたいな入国者はWelcomeじゃないんですよ!
むしろきてほしくないんです。
だからいってるでしょ、ちゃんとした書類もっている。はやくしてくれ。
あなたのその態度が問題ないんです。これから始まる審査はそんなに甘いものじゃありません。
覚悟しておきなさい!
的なことをびしっと言っておられました。
その後突然事の重要さを理解したのか、態度を一変して低姿勢になっていました。
彼もこれでちょっとはわかったのかな??
そのせいがどうかは、考えたくもありませんが、彼に時間をとられたのかな、
私の番はずーっとまわってこず、かなり待たされました。
おかげで家に着いたころは激疲れ。
今日は1日オフですが、ふわふわしてます。
完全なる時差ぼけです。
明日から仕事なのでびしっとしなきゃーーー
父
うちの父は肺癌でした。10年も。
再発を繰り返し、片肺になり、声帯も傷つき、声がでなくなり、抗がん剤治療を2年半も続けながら、7月までしっかり仕事をし、6月までハイキングもし、食べたいものも食べ、行きたいところへ行ける人生を送っていました。
今月中旬、一気に病状が悪化し、入院。ドクターからの宣告が、7月初めの時点で数か月の命だったのに、それがあれよあれよというまに、数週間になり、数日になりました。
現実的な父は仕事や生活の基盤を重要視します。ずっと、まだ帰ってこなくていいと。
それが彼もそろそろ危ないと思ったのでしょう。一声、帰っておいで、と。
すぐにチケットを買い、ボスに伝え、あわててとんで帰りました。
10日の入院をしたのち、家に帰りたいという父の意思を尊重し、父は家に帰ってくることができました。
私が帰国した日に、ちょうど父は家に帰ってくることができました。
日本の訪問看護の対応の素早さ、献身さに脱帽。
アメリカと日本で看護免許を持っている私をとても信用して下さり、普通なら家では家族の負担が大きい緩和ケアの治療を快くやらせてくれました。
まさか、父親に点滴をする日がくるとは、、思いもよりませんでしたが、
父には、◎をもらいました。笑
7月にはいってずっと息苦しかった父の苦しみを意識を保ちながらもゼロにすることができたのには、
ドクターと看護師さんの理解があったからとしか思えません。
父はもう危ないとわかっていたのでしょう。やらなければいけないリスト、を残していました。
その中には葬儀を滞りなく行うための準備も入っていました。
最後の1週間、夜は母と私で交代で世話をし、姉はキッチンを、兄はもろもろの処理、父から言われていた葬儀関係の準備、を進め、孫にも囲まれ、アメリカからは私の主人も参戦。家族みんなで過ごすことができました。本当に仲の良い素晴らしい家族なんです。本当に素晴らしい父親だったんです。
父が亡くなったことはずっとお世話になっていた会社にも知られ、東京からすぐに駆けつけてくれた方がたくさんいました。会社の方から、生前の父の話を聞くことができました。
「あなたのお父さんは、部下にはやさしく、上の者には厳しくものを言えるとても信頼深い人でしたよ。」って。
父の教えの中で、忘れてはいけないものがあります。
「人間忙しくあって、そこで空いた暇こそが宝だ」
「評価は貰うと思うな。自分を主体で考えろ」
父は物静かな人で、仕事の愚痴を一度だって聞いたことがありませんでした。
一生懸命今まで働いて、働いて、登りつめて、その忙しい人生の中で、私情と仕事をしっかりと分けることができる人でした。今までたっくさんの場所を訪れ、たくさんの山を登り、数えきれない思い出を残してくれました。
なんて凝縮した素晴らしい人生だった、と私は思います。
やっとお通夜、葬儀、初七日を終え、少しだけほっとしています。
私の主人も、家族と一緒になって、父の身体を拭き、下の世話をし、家族を車で迎えに行ったり、お客さんのお茶出しを手伝ってくれたり、ものすごーく手伝ってくれました。葬儀などでも文化が違うのに、しっかりと私の主人としての役割を務めてくれました。感謝しています。
もうすぐお盆ですね。みなさん、親孝行をしましょう。感謝の気持ちを自分の言葉と行動でしっかりと伝えましょう。まだ遅くないから。

