和食とナショナリズム 後編

1214(あべカフェにて☕️開催されました😊

講師の高井さん、カフェを開いてくれた阿部さん、足を運んでくださったみなさん、お疲れ様でした😌

そしてありがとうございます🙏💖


12月にしては暖かい陽射しが差し込む中、トントン、ジュージュー🥘と美味しそうな音と匂いに、私はお腹がグーグー🤫鳴っていたので、みんなに聞こえはしないか心配していました💦


そんなゆったりした雰囲気で開催された今回のカフェ、大事な講義の内容について。

またまた私視点の感想も含まれているので、一つの意見として見ていただけました幸いです🙏🍀


まず前回のおさらい資料③ 道徳教科書における「日本の伝統と文化の尊重」を行いました✏️


一見、この言葉だけを見ると、日本の伝統と文化を尊重する事に、何の問題があるのか解らないし、むしろ良い事、というイメージがありました。

しかし、私たちが「日本が好きと思う気持ち」と国が教科書で教育しようとしている「国や郷土を愛する」はイコールになるでしょうか?


そもそも、「愛する」という感情は、愛国心にしても家族愛、恋愛ですら、誰かに押し付けられるものではなく、自分の心から自然に湧き上がるものではないのかな、ということにふと気が付きした💖


そして、一例として資料にあるのですが、ある道徳の教科書の挿絵で、パン屋が和菓子に変更されたことがあったようです。

変更された理由は、「国や郷土を愛する態度、伝統と文化の尊重」の扱いが不適切と文科省からの意見が出たそう。

ですが、具体的に和菓子に変更!というような指示ではなく、教科書会社が和菓子の方が日本的?みたいな感じで変更したという経緯があるそうです🧐


そんなこんなで、それからは文科省の検定不合格を恐れて自主規制された教科書ばかりが作られているそう。

そのような経緯も知らずに、与えられた教科書だけ見るということに私は危機感を抱きました。


そもそも、国が道徳の教科書で愛国心を育てようとしている、その「国」とは何のか?について✏️


「国益」という言葉からもイメージできるように、政治家が「国」という時、それは全体的な大きな集団を指しているのだと考えられます。

そこにある一人一人の個人のことは考えられているのでしょうか?

またそのような大きな集団を俯瞰した時、自由、平等は保障されていますか?


私は、ないと感じています。


過去に、現在の道徳にあたる「修身」という教科があったそうです。


時代の流れとしては、江戸時代から明治にかけて、幕府が敗れて→1868年明治政府が誕生した頃。


よくよく考えたらわかることなのですが、やはり歴史を文字でしか認識していなかった私にとっては、なるほど😳と思ったことなのですが!


当時は幕府側についていた勢力も残っていたり、日本でも自由民権運動が起こっていたりと、内乱があったそうです。

しかし、明治政府の力により抑えられてきました。

そのために「教育勅語」を作り、それを基に「修身」を作り学校で教えるようになったという流れがあるそうです。

教育勅語つまりは天皇を中心においた日本ということですよね。


ココから、「お国のために」という意識が広がっていったキーポイント的な時代だったのかな、と思いました😢


ちなみに、自由民権運動はその後も日本の中でも何度も起こったけれども、その度に政府により抑えられていたという歴史を知りました。


まだまだみんなの質問や意見交換でも面白いお話は沢山あったのですが、長くなりまとまらなくなってしまうので、このへんで😣🙏

高井さん、間違いや補足のご指摘お願いします🙇‍♀️✨


いつもながら、歴史的事実から今の状況を重ね合わせて、「そうか、そうだったのか!」という、新しい視点を発見する楽しいカフェとなりました☕️

一人で勉強する時では気づけなかった事が、みんなの視点から学ぶ事で発見でき、とても嬉しく充実した時間を過ごす事ができました😊


今回の開催時、「後編」とお伝えしていたのですが、まだまだ最後までゆかず、次回も同じ資料で続きをしてゆきたいと思っています😌

続きは④「日本の伝統と文化の尊重」とは何かです✏️


高井さんは、とても丁寧に前回の振り返りもしてくださるので、途中でも、初めてでも、いつでも参加ウェルカムです🙆‍♀️✨


次回は、

125() 930分〜12

あべカフェ☕️にて

参加費500円のご用意をお願いします🙇‍♀️


ランチ🍴に関しましては、また阿部さんとご相談して、開催日が近づきましたらお知らせ致します🙏🍀