こんなブログを、誰も読んでいないことも、本当はわかっている。
 
 20年以上も小説を書き続け、良い先生、良い仲間(とお呼びするのもおこがましいほど、技術も感性も知識もお持ちのかたがた)にも恵まれているのに、今の自分の実力が、ちっともそれに値しないことを、この数週間、痛感し続けている。
 
「20年以上も書いてるのに、この程度? 新人賞の一次選考にも通過できないの?」
 
 それが、真実だ。
 
 文章教室では、先生や、ほかの受講生のかたがたは、読んでくださる。
 でもそれは、
「合評で、感想を言わないといけないから」
 という義務感からだ、悪いけど、わたしもそう思って、時間を割いている気持ちがある。
 これは別に、今のわたしが卑屈になっているからそう感じているわけではなくて、何人もの人に5枚の作品を送ったのに、1人も、感想を聞かせてくれない事実に基づいてようやく認識した、紛れもない、真実なのだ。
 
 ものすごく、悔しい。
 1日も早く、プロになりたい。
 心底、そう願う。
 
 これは「夢」なんていう甘ったるいものではなく、「就職活動」。
 20年以上、ずっと、そう信じて、書いてきた、読んできた。
 だからこそ、20年以上分の悔しさが、今、噴火を前にしたマグマのように、ぐつぐつと煮えたぎっている。
 
 趣味で書いているわけではない。
 伝えたいことがあって、それを伝える手段として、わたしは「小説を書く」ということしか、知らない。
 働きに出ることのできないわたしにとって、自分の書いた小説を通して、社会に問題提起していく以外、生きる意味はあるのか?
 それができるようになるまでは、ただ、臥薪嘗胆、生き恥をさらしているだけ。
 
 悔しくて惨め。
 それこそが、真実。
 
 といって、落ち込んでいるわけではない。
 これまでのわたしが、どこか、何かを勘違いして、かなり思い上がっていた、ということに気づかされただけだ、いいことだ。
 

 
 で。
 写真でも載せないと、目立ちもしないかなぁという、苦肉の策。
 
 ↑ の写真は、このほど新たに「お友だち」になった、2つのかばんさんなのですが、2つに見えるカナ?
 
 大きなのはリュックで、A4サイズのクリアファイルも、モバイルパソコンも入る大きさ。2、3日の旅行用の着替えや洗面道具は、充分に入りそう。
 敢えてリュックを選んだのは、わたしは明日香など、案外歩くのが好きなので、整備されていない道でキャリーバッグは運びにくかろうという理由から。
 で。
 手前に、小さなかばんがあります。
 そこには、メモと、ペンと、スマホと切符だけが入ればいいかなぁと思っています。
 大きいほうを「Dylan」、小さいほうを「Vic」と名付けました。
 Dylanは、最近ちょっとボブ・ディランさんが好きになってきたので。
 で、初めは「ボブ」にしていたのですが、「Dylan」のスペルを、おバカなわたしはなかなか覚えられないので、「Dylan」に変えました。
 それに。
 台湾ドラマ『ハートに命中 100%』(邦題)に、「ディラン」というハンサムでやさしい男性が出てきたこともあったので、そちらも掛けて。
「Vic」も、台湾の、いわゆるF4メンバー、ヴィック・チョウから名づけました。
 さらに。
『STAR TREK DEEP SPACE 9』のレミレギュラーに「ヴィック・フォンテイン」というダンデイなおじさんがいて、レギュラーメンバーの悩みを解決してくれるので、心強いかな、と。
 
 そんなところで~す。