ごきげんよう、為国遊です。
それを踏まえて、今回は「なんだかわからないけど惹かれる文章」について
解説しますね。
「なんだかわからないけど惹かれる文章」の代表格といえば
それはもう、聖書です。
私はキリスト教徒ではなく、
大学の授業で新約聖書を読む機会があっただけ。
その時、まずそのあまりのわけのわからなさにうちのめされました。
はじめは「なんだこりゃ・・・」と圧倒されていたのですが、
教授に質問してもニヤニヤして答えてくれません。
全くのお手上げ。
ですが、わからないながらも何度か読むと
だんだんと身近な気持ちになってきました。
そして、「キリストったら、冗談ばっかり^^」と思えるくらいには
読めるようにはなりました。
この解釈が正しいかどうかはあえて置いておくとして・・・。
恐らく、キリスト教徒さんでも聖書は深淵すぎて理解に苦しむ部分もあると思います。
でも、意味はわかならいけどなんだか惹かれるのです。
その理由は、キリストが非常に確信を持って言っているから。
きっぱりと、潔く、簡潔に、意味不明なことを言い切っています。
よくもあんなに自信があるもんだと不思議なくらい、確信的です。
内容や意味はよくわからなくても、
心からの確信に基づいた言葉は人を惹きつけるのです。
そして、なんだかよくわからないけど惹かれるものは
いつか必ず理解できるようになります。
人は、事実では動きません。
真実だけが行動のきっかけになります。
確信には、真実があります。
そのことが正しいかどうかではなく、
自分は今これを信じているという確信は、間違いなく真実です。
自分の感情に対して素直でいることが
一番真実に近づけると私は思います。
事実関係やデータは、見方によっていかようにも加工、改ざんできます。
でも、貴方の感じた感情は、貴方以外の人が変えることはできない、
唯一の真実なのです。