昨日はガッツリ働きましたよ。
昼間は弊社にてお客様とサイトのオリエンテーション。
夕方は毎月訪問している上田先生の事務所へ行き、
そのまま顧問先のシンガポール料理屋へ。
マーライオン生ビールを片手にパシャリ。

ここ冗談抜きで美味かった。
リピート率リアルに90%らしい。
けど震災後に人が激減。
スタッフ帰国で今は大変みたい。
また絶対きます。
ココ絶好の告知のタイミングなのに店の名前忘れた━━━━(゚∀゚)━━━━!!
さて、本日は私もさすがに休暇です。
ずっと溜めていたブログをGW中にちょっとずつ更新していきます。
本日で4月最終日ということで、4月にあって出来事をツラツラと書きましょう!
2011年4月10日。
震災から約1ヶ月。
ちょうど親父の13回忌だった。
故人を思う日が数年周期で行われるのは良いことだ。
お寺にとって、完全なるリピート収入だからね。
おっと、ブラックジョークだ。
ここからは真面目ちっくな話で恐縮です!!
最近「なんのために」って意識が前より強くなった気がする。
「親父はなんために仕事を頑張ったのか?」
4月10日は、そんな疑問が思い浮かんだ良い一日だった。
親父の旧友などから聞いた話によると、
7人兄妹の長男だけあって相当な兄妹思いであったらしい。
若くして早々働いて弟たちの学費などもまかなっていたらしい。
謙虚でひたむきに、とにかく若いころから働いていたらしい。
昔の写真を見たが、俺の学生時代とは大違いな、
凛々しい顔をしていた。
中1までの俺の記憶では、家族想いでもあったかなと今は思える。
けど、決してあのときは良い父親だなんて全く思わなかった。
夫婦げんかも多いし、兄貴との親子げんかもひどかったし、
とにかく怖い存在だった。
それにコミュニケーション下手くそだったから、
ガキな俺は本当にムカツクことばかりだった。
だから今の俺はコミュニケーションの大切さにこだわっているのかもしれない。
親父にサランラップの芯で頭を殴られた日には、
本気で湯のみ茶碗に、ぞうきんの絞り汁を入れたかったくらいだ。
でも入れる勇気が無かった。
では、なぜ勇気が出なかったのか?
いや、その話はどうでもいい。
では、なぜ家族想いだと今は思えるのか。
うーん、おそらく背中。
背中で語っていた部分が今さらわかる。
話下手だからこそ、家族のために仕事に打ち込んでいた。
ガン(死因)になっても仕事をしていた。
ガンの転移で腕が上がらなくなっても、現場に出ていた。
小学生の俺は手伝った。
仕事中もそんなに会話は無かったが
背中は語っていたと思う。
そして俺は手伝ったはいいが、
親父の軽トラを
車酔いして、よくゲロまみれにしていた。
何が言いたいかというと、親父の「なんのため?」が
「家族」、「仕事」が中心だったんだと思う。
多くを語らない親父だったけど、
ムカツクとこ盛りだくさんな親父だったけど、
普段無口で口下手なのに、なぜか一人でチョクチョク思い出し笑いしちゃう親父だったけど、
ひそかにお色気番組が好きな親父だったけど、
今、最高に感謝している。
墓の前で手を合わせ、
「一点の心配もいりません」と
心中で一言。
そして俺は、自分の最高な葬式を迎えるために
自分の役割を改めて明確にしてみた。
人には視点を変えると多くの役割がある。
【俺の役割】
人として:夢を与え続けること
男として:愛する人を守り続けること
子として:親に元気な姿を見せ続けること
ビジネスマンとして:仲間に勝利をもたらし、お客様を喜ばせ続けること
友人として:道を照らし続けること
赤の他人として:微笑みかけること
スポーツマン:ヒップにモッコリ(古い)
これらの役割に対して日々実行できているかと思うと
実行できていないことが多々ある。
こういった考える時間がある時に再度態度を改めようと思う。
「あなたは目的を意識しているか?」
それが明確な「なにか」でなくても、
常に「なんのために」と問いかけて
生きているか?
ココロ踊る感覚を味わったことがあるか?
本気で悔しい思いをしたことがあるか?
幸せを仲間とわかちあったことがあるか?
心から感謝をしたことがあるか?
前提を忘れないように
初心を思い出すように
冷めた人間にならないように
人生がボケないように
思いっきり愛を与えて
ガッツリ愛を受け取れるように
笑い苦しんで
全うして、生き抜いて
死んでいきたい。
これがGW1発目の重ーいブログです!(笑)
でもね、前提がやっぱ大事だから
GWスタートでビシっと記事書けば、
残りもGWも充実しそうじゃない?
※そういえば本日は大震災から1ヶ月半。今日も大きな余震が続く。
まだまだ被災地を元気にする活動は必要だ。
少しでも何かしようと思っている人は是非下記サイトを
ご活用ください。
http://actionforjapan.com/