へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -171ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。


おれは本当にアカンたれ。
今日も同僚のオッちゃんに腹が立ったのでクソボケジジィと心の中で呟いたら気持ちよくなってメロディーをつけて歌っていた。


残念ながら、
僕は作業をしていたらそのオッちゃんの前で、次の工程に移る品物を、何故か握力が急に抜けて床にブチまけてしまった。



トホホ。。



しかし、トホホと同時に
神様見てはってるんやわぁー怖わ~ぉっと思った。


やっぱり
イライラ怒る事があっても
悪い思いで何でもしたらあかんね。




昨日であった言葉をついでに。

。。。。。

人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい


あなたが善を行なうと
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行ないなさい


目的を達しようとするとき
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい


善い行いをしても
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい


あなたの正直さと誠実さとが
あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい
あなたが作り上げたものが
壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい


助けた相手から
恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい


あなたの中の最良のものを世に与えなさい。
蹴り返されるかも知れません
でも気にすることなく、 最良のものを与え続けなさい

               
マザーテレサ

。。。。。

しっかり頑張れおれ。



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自分では結局作れなかったのですが、教会にあったモノを少しお借りして写真を取りました。
photo:01


それから
photo:02


凄い器用に出来る方はほんと凄いね。

では。
おやしみなさい。

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今日は日曜日。
晴れましたね~。なんかスッキリ空気まで雨が綺麗にしてくれたみたい。
素敵な朝ですが、今日は教会ではイースターと呼ばれるジーザスの復活祭!


んな事で、今日も早速
ワーシップタイムでございます。
(勿論ユテコ解釈ですが。。。)よろしくお願いします。



なんと今日は疑う人からお話が始まった。その人の名はトマス。
なんとトマスは、僕と同じ双子なんでっす~。僕も疑り深いし、なんか似てるのかも。。


さぁ、このトマス。
一番聖書に多く示されて、有名な箇所がここの箇所なんすよね。


疑い深く
こんな奴にはなったら、アカンって事が記されているのか?と思いきや、なんと此処で語られてるのは

疑り深い人も大丈夫!
そんな人にも時間を割いて、僕は会いに行くよ~。だって僕にとって疑ったって大切な友に違いないから。



なんかイイですね。
僕も受け入れられた気がしました。





折角なので、
今日はそんなバイブルの箇所まるまる記しておきますね。
ここは、十字架にかけられ死なれて、墓に安置されて3日目の朝から記されています。


。。バイブル 。。

jhn20:1 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

jhn20:2 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」

jhn20:3 そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。

jhn20:4 ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。

jhn20:5 そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中にはいらなかった。

jhn20:6 シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓にはいり、亜麻布が置いてあって、

jhn20:7 イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。

jhn20:8 そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいって来た。そして、見て、信じた。

jhn20:9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。

jhn20:10 それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。

jhn20:11 しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。

jhn20:12 すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。

jhn20:13 彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」

jhn20:14 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。

jhn20:15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」

jhn20:16 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。

jhn20:17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」

jhn20:18 マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました。」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。

jhn20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」

jhn20:20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。

jhn20:21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」

jhn20:22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

jhn20:23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」

jhn20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。

jhn20:25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。

jhn20:26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。

jhn20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」

jhn20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」

jhn20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

jhn20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行なわれた。

jhn20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。

。。。。。






「・・・見ずに信じる者は幸いです。」







「・・・見ずに信じる者は幸いです。」







僕らは
ジーザスの復活を見てはいない。






でも
信じる事はデキるもの。







「・・・見ずに信じる者は幸いです。」

信じる事とは、信仰といわれ
こう記されている箇所も参考になる。


。。バイブル 。。
「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」

(新改訳では、「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるもの」)

。。。。。




信仰とは、
まだ見ていない事実を確認すること。

言葉どおり
見ていない『事実』を確かだと認める事。

その『事実』は、見ていない過去かもしれないし、もしかしたら、その『事実』は、見ていない将来かもしれない。


だって、神様は時間を超越された方だから。時に拘束される事はないんやから、『事実』は僕らみたいに過去だけ!ではないもんね。そんな『事実』を確かに認める事が出来たらイイですね。


ジーザスは甦られた。
僕らを大好きで大好きでたまらなく、全ての罪の汚れを洗い流す為に死なれ、神様の子として心の平安・愛いっぱいで共に生きるため甦られた。



見ずに信じれたらイイですね。


でも、
見ないと信じれなくってもイイんですよ。疑ってもそのまま求めてみませんか?トマスの様に。
そのままで神様は、ジーザスは愛してますから。。。



では。
今週も素敵な一週間を。



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大阪は今日もアメダス。
破れたシートの自転車に染み込んで行くんだなぁー。ケツが濡れるんだわ。

まー
直す事を後回しにしないといけない現状が続いてるから仕方ない。
うちの優先順位からしたらべべですからね~。ただ、後輪カバーの修理だけはしないとヤバイ。少し修理を加えないと結構跳ね返ってきたからと思い、ついこの間から外している。


ん~~~
なんとも。。。



今日出会った言葉はコレ。

eigomeigen
私は決して行動について心配せず、しかし無行動についてだけは心配する。

ウィンストン・チャーチル
#meigen http://eigomeigen.com/s/350



後輪カバーを外すまでは良かったが、その後の無行動のお蔭で今日はきっとズボンびちょびちょで残念な結果となる。



明日日曜を最後に大阪を離れる友が居る。
ある目標を抱いて即アクションを起した。

思った事を行動に移すのと
どうなのかなぁと悩むのと
同じ時間を使い、同じくらいの疲れをも味わうだろうと思う。


どちらも個人としては頑張ってはいる。
これは、僕もよくおちいってる場所。




疲労度だけを味わう事の出来る変な所。



行動へのアクションを始めてみよう。
失敗してもいい、いや、失敗を繰り返して前に足を出して行こう。
僕らは迷惑をかけなければ生きていけない存在。失敗すれば迷惑をかけるが、次には失敗する人を引き上げられる事が出来るようになる。


無行動を心配し、一歩踏み出せたらいいね。
臆病な心を取り除き、一歩前に出る勇気と力を与えられますように!


では。
お昼からも全快で!!



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photo:01


進化論と創造論について。


どちらを信じる?なんて質問されていた。


僕らも全ての人にその選択が出来るよう両方知る事が出来たらいいのにね。



番組はある見方を持った方が作られている。大切なのは自分で判断しようとして真実を知ろうとする心。


コレほど溺れてしまうほどの情報で僕らは自分でしていた判断をテレビのコメンテーターに任せてはいないか、もう一度確認したいとは思った。


自分の物差し
確認していきたいですね。。


では。
今日は青山町のココスでバイブルスタディー!


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