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【詩篇75篇】o19 指揮者のために。「滅ぼすな。」の調べに合わせて。アサフの賛歌。歌
psm75:1 私たちは、あなたに感謝します 。神よ。私たちは感謝します。御名は、近くにあり、人々は、あなたの奇しいわざを語り告げます。
psm75:2 「わたしが、定めの時を決め、わたしみずから公正にさばく。
psm75:3 地とこれに住むすべての者が揺らぐとき 、わたしは地の柱を堅く立てる。セラ
psm75:4 わたしは、誇る者には、『誇るな。』と言い、悪者には、『角を上げるな。
psm75:5 おまえたちの角を、高く上げるな。横柄な態度で語るな。』と言う。」
psm75:6 高く上げることは、東からでもなく、西からでもなく、荒野からでもない。
psm75:7 それは、神が、さばく方であり、これを低くし、かれを高く上げられるからだ。
psm75:8 主の御手には、杯があり、よく混ぜ合わされた、あわだつぶどう酒がある。主が、これを注ぎ出されると、この世の悪者どもは、こぞって、そのかすまで飲んで、飲み干してしまう。
psm75:9 しかし私は、とこしえまでも告げよう。ヤコブの神を、ほめ歌おう。
psm75:10 悪者どもの角を、ことごとく切り捨てよう。しかし、正しい者の角は、高く上げられる。
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おはようございます。
もうすぐ息子の運動会。
日頃履いてる靴底のゴムがペローンと剥がれてる事に気付かなかった。
昨日急いで靴を買いにでかけた。
甘い・・かもしれないが、やぱりイイものを買ってやりたいという思いがあるものです。
カッチョいい奴を購入できて満足満足。
では早速今日も共に詩篇を。
今日僕の心に留まったのはこんな言葉。
psm75:1 私たちは、あなたに感謝します 。神よ。私たちは感謝します。御名は、近くにあり、人々は、あなたの奇しいわざを語り告げます。
御名とは、名前の事。
名前は存在を現すもの。
神様はホンマに近くに居てる。
「近い」とは距離的概念ではなく、かかわりにおける親密さをあらわす概念です。それが人と人の場合に用いられるときには「隣人」(neighbor)という関係になります。
いつも必要を満たしたいから。
神様は僕らの必要を満たしたい。
僕らが何をしたか?何が出来るかではなく、僕らが神様に創られた素敵な存在だから。
甘いのかも。僕らが大切な人にとても甘いように。
それ以上に神様は僕らに甘い存在なのかもしれない。
素敵な関係ですよね。
実際にそんな関係は僕ら自身に無いように思えても
間違いなく僕らの関係は変わらない。
psm75:9 しかし私は、とこしえまでも告げよう。ヤコブの神を、ほめ歌おう。
感情で捉えられる事が無くても事実は変わらないから、僕らはいつも神様を喜んで間違いない。
今日も詩篇の作者と共に
神様の御名を喜びませんか?
心が否定しても、バイブル(神様)
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?
僕らは今日も大丈夫!!
神様・・
eps1:17
どうか、私たちの主イエス・キリストの神
、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私に
eps1:18
また、私の心の目
がはっきり見えるようになって、
eps1:19
また、
ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.
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詩75篇 「(御名は)近くにある」 קָרוֹב カーローヴ
〔カテゴリー愛顧〕
1節b「御名は、近くにあり」 (新改訳)
1節b「御名はわたしたちの近くにいまし」 (新共同訳)
Keyword; 「近い」 near, close, neighbor,
15:3/22:11/34:18/38:11/75:1/85:9/119:151/145:18/148:14
- 「御名は、近くにあり」と訳された「近く」は動詞ではなく形容詞です。神は遠くにおられる神ではなく、近くにあってくださる神です。このことが私たちにとって恩寵です。私たちはしばしば神が遠くに、あるいは不在であるように思えることがあります。しかし、詩75篇の作者は「御名は、近く」にあることを経験したようです。
- 「近く」と訳された形容詞のカーローヴקָרוֹב(qarov)は、旧約で77回、詩篇では9回使われています。動詞はカーラヴקָרַב(qarav)です。すでに詩65篇の恩寵用語として「神に近寄せられる」を取り上げています。名詞形のケレヴקֶרֶב(qerev)は、近寄せられて、神が私たちの「うちにある(within)」恩寵として用いられています。例としては、詩46篇5節の「神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない」に見られます。他に、名詞形で「近くにあること」を意味するキルヴァーקִרְבָה(qirvah)は詩73篇28節の「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。」で使われています。
- 「近い」とは距離的概念ではなく、かかわりにおける親密さをあらわす概念です。それが人と人の場合に用いられるときには「隣人」(neighbor)という関係になります。
- さて、詩75篇では神が近くにおられることを歴史的な出来事として経験し、「神に感謝します」と述べています。その感謝の理由は、6節以降にあるように「人を高く上げるルーム (רום)のは神だから」です。おそらく歴史的な出来事というのは、アッシリアやバビロンといった、自らを誇り、神に逆らう高慢な者たちを対するさばきを表わしていると考えられます。神は彼らを滅ぼし、ご自身の民を顧みられました。そこに神が近くにおられたことを改めて知ったと言えます。
- 私たちも神が遠くにいるように感じられる経験をすることがあります。しかし実は、神は常に私たちの近くにおられるのです。それゆえ、どんなときにも「御名は、近くにあり」と告白できる者となりたいものです。
34篇 18節「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。」
119篇151節「しかし、主よ。あなたは私の近くにおられます。」
145篇 18節「主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。」
- 「打ち砕かれた者(アニー)」、「主を呼び求める者」、「まことをもって主を呼び求める者すべてに」、主は近くあってくださることに心を留めるとともに、それを実生活の中で経験できるようになりたいものです。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs75
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