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【詩篇21篇 指揮者のために。ダビデの賛歌
psm21:1 主よ。王はあなたの御力 を、喜びましょう。あなたの御救いをどんなに楽しむことでしょう。
psm21:2 あなたは彼の心の願いをかなえ、彼のくちびるの願いを、退けられません。セラ
psm21:3 あなたは彼を迎えてすばらしい祝福を与え、彼のかしらに純金の冠を置かれます。
psm21:4 彼はあなたに、いのちを請い求めました。あなたは彼に、とこしえまでの長い日々を与えられました。
psm21:5 御救いによって彼の栄光は、大きい。あなたは、尊厳と威光を彼の上に置かれます。
psm21:6 ★ あなたは、とこしえに彼を祝福し、御前の喜びで彼を楽しませてくださいます。
psm21:7 まことに、王は主に信頼し、いと高き方の恵みによってゆるがないでしょう。
psm21:8 あなたの手は、あなたのすべての敵 を見つけ出し、あなたの右の手は、あなたを憎む者どもを見つけ出します。
psm21:9 あなたの御怒りのとき、彼らを、燃える炉のようにされましょう。主は御怒りによって彼らをのみ尽くし、火は彼らを食い尽くすでしょう。
psm21:10 あなたは、地の上から、彼らのすえを滅ぼされましょう。また、人の子らの中から、彼らの子孫をも。
psm21:11 彼らが、あなたに対して悪を企て、たくらみを設けたとしても、彼らには、できません。
psm21:12 あなたは彼らが背を見せるようにし、弓弦を張って彼らの顔をねらわれるでしょう。
psm21:13 主よ。御力のゆえに、あなたがあがめられますように。私たちは歌い、あなたの威力をほめ歌います。
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おはようございます。
今日はお休みですが、お仕事です。
明後日も。
与えられたお仕事を喜べない僕が居ますが
感情に勝った意志を持って喜んで行ってきま~す。
では早速共に詩篇を。
今日僕の心に留まった言葉はコレ。
psm21:1 主よ。王はあなたの御力 を、喜びましょう。あなたの御救いをどんなに楽しむことでしょう。
psm21:2 あなたは彼の心の願いをかなえ、彼のくちびるの願いを、退けられません。セラ
psm21:3 あなたは彼を迎えてすばらしい祝福を与え、彼のかしらに純金の冠を置かれます。
何故、ダビデさんはこんな言葉を発せれたのでしょう?
何故?
神様に求めたモノは、誰もが与えられるという確信があったから?
だって、その後に続く言葉は問題が全くなくなった訳ではないようだもんね。
psm21:8 あなたの手は、あなたのすべての敵 を見つけ出し、あなたの右の手は、あなたを憎む者どもを見つけ出します。
そんな確信
僕ら一人一人にもあったら、どんなに楽しいことか・・。
でもね。
そのダビデさんに与えられた確信は、僕らのモノとして神様は用意されている。
サタンを主(あるじ)としないで
神様を主(あるじ)とすることで。。
それは、信じた言葉を発することから始まるのかもしれない。
オリンピックで戦いが繰りひろげられてるけど
負けるかも・・・なんて思いに従って、その言葉を発して戦いに望んでる人は居ない。
感情が身体を支配することを知っているからだ。
だから、負けるかも・・・って感情を選手は打ち負かして、最後の最後まで力を使う事が出来る。
僕らはどんな言葉を発している?
僕らは信じるものによって、支配されていくモノ。
それは、例え感情が自分の意志に背いていたとしても、全く関係ない。
自分の意志は何を選択しているのか・・・それだけかも知れないね。
自分がどんなに惨めで貧しく見えていても
僕ら自身の実際はどんなだろう?
『 わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。 』
神様は僕ら一人一人を高価に創られた。
そして何よりもあなたを僕を愛する存在として生かされている。
サタンの囁きが聞こえてるでしょう。
「お前はダメ・・迷惑ばかり・・何の為に生きてる?」
僕らはそんな言葉に思いを同じにして、従う必要は無い!!
そんな出鱈目な言葉を信じないで・・
ジーザスが死んでまで愛してくれている現実を僕らはもう無視しなくていい。
大丈夫。
負けないで、僕らは自分の意志で信じることが出来るんだから。
絶対~大丈夫!!
僕らのあるじ(主)は、僕らを創って支えられてる神様なんだから。
この事実を忘れないで。
大丈夫。
心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?
僕らは今日も大丈夫!!
神様・・
eps1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私に与えてくださいますように。
eps1:18 また、私の心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
eps1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、私が知ることができますように。
a-men.
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詩21篇「迎える」 קָדַם カーダム
〔カテゴリー愛顧〕
3節「あなたは彼を迎えてすばらしい祝福を与え、彼の頭に純金の冠を置かれます。」
3節「あなたはその大いなる恵みをもって彼を迎え、そのかしらに純金の冠をいただかせられる。」(口語訳)
Keyword; 「迎える」 welcome, 21:3/59:10/79:8
- 「迎える」と訳されたカーダムקָדַם(qadam)は、本来、敵に対して「立ち向かう」とか、「~よりも前に何か事をなす」といった意味の言葉ですが、詩21篇では「歓迎する」という意味で用いられています。旧約では26回、詩篇では12回ですが、歓迎の意味に訳されているのは詩21篇の他に、59:10「私の恵みの神は、私を迎えに来てくださる。」(確信)と、79:8「あなたのあわれみが私たちをすみやかに迎えますように。」(嘆願)にあります。
- 前篇の20篇が「王のためのとりなし」であったのに対して、21篇は「王の凱旋の賛歌」です。主なる神が王の願いを「かなえנָתַן」(v.2)、「迎えקָדַם」(v.3)、「(祝福を)与えנָתַן」(v.3)、「(その頭に純金の冠を)置かれשִׁית」(v.3)、「(長い日々を)与えנָתַן」(v.4)、「(尊厳と威光を彼の上に)置かれשָׁוָּה」(v.5)、「(とこしえに)祝福しבָרַך」(v.6)、「(喜びで)楽しませるחָדָה」(v.6)という神の恩寵のリストが綴られています。
- そうした神の恩寵に対して、王は主に「信頼しבָּטָח」(V.7)しています。この神と王のゆるがない信頼関係こそこの詩篇の大切なポイントです。王のためにとりなした民たちは、神と王のゆるぎないかかわり、麗しい信頼関係を喜び称えています。
- 主イエスは・キリストは弟子たちを招かれたとき、「わたしのくびきを負って、わたしから学びない」と言われました。「わたしから学ぶ」とは、御子が御父を絶対的に信頼している生き方のことです。それを学び、身につけるようにということです。このことこそ御子イエスの生涯の課題であり、仕事でした。そしてこの課題と仕事は、十字架上において「わが霊を御手にゆだねます」(ルカ23:46)と息を引き取られたことで完遂されたのでした。私たちはこの御父と御子の麗しい愛のかかわりをもっと深く学ぶことが求められています。そしてその中にあずかるようにと招かれています。
- 詩21篇にある恩寵用語を以下にまとめておきましょう
(1) ナータンנָתַן(natan)・・いのちを与える(賜う)、願いをかなえる(許す)、to give,
(2) シート שִׁית(shit)・・冠を置く、祝福を置く、to place,
(3) シャーワーשָׁוָה(shawah)・・を贈る、・・を与える、・・を授ける、・・を置く、to bestow,
- 「いと高き方の恵み(constant love/steadfast love/lovingkindness)に支えられることによって、決して揺るがされることのないな、真の安らぎを経験できることを感謝したい。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs21
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