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psm148:1 ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。
psm148:2 主をほめたたえよ。すべての御使いよ。主をほめたたえよ。主の万軍よ。
psm148:3 主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。
psm148:4 主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。
psm148:5 彼らに主の名をほめたたえさせよ。主が命じて、彼らが造られた。
psm148:6 主は彼らを、世々限りなく立てられた。主は過ぎ去ることのない定めを置かれた。
psm148:7 地において主をほめたたえよ。海の巨獣よ。すべての淵よ。
psm148:8 火よ。雹よ。雪よ。煙よ。みことばを行なうあらしよ。
psm148:9 山々よ。すべての丘よ。実のなる木よ。すべての杉よ。
psm148:10 獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。翼のある鳥よ。
psm148:11 地の王たちよ。すべての国民よ。君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。
psm148:12 若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。
psm148:13 彼らに主の名をほめたたえさせよ。主の御名だけがあがめられ、その威光は地と天の上にあるからだ。
psm148:14 主は、その民の角を上げられた。主の聖徒たち、主の近くにいる民、イスラエルの子らの賛美を。ハレルヤ。
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おはようございます。
疲れがとれない。。何故だか疲れがとれない。
やはり・・・身体は老いていくものだ。
では早速共に詩篇を。
今日僕の心に留まったのはこんな言葉。
psm148:1 ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。
ハレルヤって
神様を褒め称えよっていう意味。
んで、74編の時の説明を。
この74編では貧しい者が褒め称えますようにと語ってる。
そして、今日の詩篇は全ての創られたものにほめたたえるよう語っている。
何が出来るわけでもない。
でも、僕らには神様をほめたたえるという事が出来る。
そして、神様はそれを一番喜ばれる。
それは神様が僕らを愛しているから。危険な場所から移り自分の支配下で守っていたいから。
『感謝をもって主の門に。賛美をもってその大庭に入れ。』だもんね。
僕らが大切にすべきなのは
「神」とかかわっている存在であるという自己認識を持っています。神なしには存在し得ない者としての無力な自覚をもったアイデンティティです。
僕らのアイデンティティを明確に持つ為にも
今日も素敵に過ごせますように。
隠された素敵を捜しに今日も一緒にでかけましょうね。
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詩74篇「ほめたたえる」 הָלַל ハーラル
21b節「悩む者、貧しい者が御名をほめたたえますように。」(新改訳)
21b節「貧しい人、乏しい人が、御名を賛美することができますように。」 (新共同訳)
Keyword; 「たたえる、賛美する」 praise, (詩22篇参照)
- 詩74篇には礼拝用語はただ一つしかありません。それだけにこの一語には重みがあります。それはどぶ沼に咲く一輪のハスのようです。それは21節の後半「悩む者、貧しい者が御名をほめたたえますように」の「ほめたたえる」ハーラルהָלַל(halal)です。普通には、「賛美する」という意味ですが、本来の意味は「輝く、光を放つ」という意味です。
- だれが「主の御名を」輝かすのかといえば、それは「悩む者(アーニーעָנִי)」と「貧しい者エヴヨーンאֶבְיוֹן(’aviyon)」によってです。この二つの用語は詩篇においてしばしばワンセットで用いられ、いずれも詩篇特愛用語です。特に、後者の「貧しい者」(エヴヨーン)は極貧を表わす言葉で、すべてにおいて全く無力で、差し迫った窮乏を意味します。
- 新約聖書では「貧しい」とはギリシア語で「プトーコス」と言いますが、この言葉の背後には二つのヘブル語〔アーニーעָנִי〕と〔エヴヨーンאֶבְיוֹן〕の流れがあります。
- 詩74篇では、神の民であることのしるしであったエルサレムの聖所、およびイスラエルにおけて神を礼拝するすべての場が敵によって跡形もなく打ち壊されました。そうした神の民の姿をこの詩篇は次のように述べています。
「あなたの牧場の羊」(1節)
「昔あなたが買い取られた、あなたの会衆」(2節a)
「あなたがご自分のものである部族として贖われた民」(2節b)
「あなたの山鳩」(19節)
「しいたげられる者」(21a節)
「あなたの悩む者」「貧しい者」(21b節)・・です。
- 自己認識を表わすこれらのことばに、「あなたの」「あなたが」という人称代名詞がつけられています。羊も山鳩もみな弱い存在であり、神によって贖われた(買い取られた)存在です。その者が下から目線で、上から目線の「あなた」、つまり「神」とかかわっている存在であるという自己認識を持っています。神なしには存在し得ない者としての無力な自覚をもったアイデンティティです。ところが、驚くべきことに、これらの弱く貧しい存在が神の御名を輝かせること、つまりハーラルהָלַלすることができる逆転の恵みがなされるようにとの嘆願がなされています。
- この詩74篇全体が嘆きの詩篇であるだけに、礼拝用語としてのハーラルהָלַלはひときわ輝いています。神はこのような嘆願を心待ちにしておられたのかもしれません。なぜなら、聖書の神は弱さと貧しさの中に働いて、自らの栄光の光を放たれる方だからです。
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