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psm119:89 主よ。あなたのことばは、とこしえから、天において定まっています。
psm119:90 あなたの真実は代々に至ります。あなたが地を据えたので、地は堅く立っています。
psm119:91 それらはきょうも、あなたの定めにしたがって堅く立っています。すべては、あなたのしもべだからです。
psm119:92 もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。
psm119:93 私はあなたの戒めを決して忘れません。それによって、あなたは私を生かしてくださったからです。
psm119:94 私はあなたのもの。どうか私をお救いください。私は、あなたの戒めを、求めています。
psm119:95 悪者どもは、私を滅ぼそうと、私を待ち伏せています。しかし私はあなたのさとしを聞き取ります。
psm119:96 私は、すべての全きものにも、終わりのあることを見ました。しかし、あなたの仰せは、すばらしく広いのです。
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おはようございます。
今朝は雨もやんでるわあ。少し肌寒いけど体調管理には気をつけましょうね。
では早速共に詩篇を。
今日、僕の心に留まった言葉はコレ。
psm119:91 それらはきょうも、あなたの定めにしたがって堅く立っています。すべては、あなたのしもべだからです。
僕らは何処に立ってるのか?
何を基礎としているのか?
そこがとても大切なところじゃないかなって思ったんです。
王様がアホだったら、その民も共倒れ。
素晴らしい先見性をもつ王様で、徹底した管理をした王国は反映するだろうね。
そのベースが間違っていれば共倒れにナッチャウもんね。
何処に僕らは立ち、
誰に従って歩むのだろうか?
僕らはどんな指導者の声にしたがってるのか?ってのももう一度確かめる必要があるかも。
すべては、あなたのしもべだからです。
今日も囁く声がある。
もう・・・アカン。こんなん最悪や。
どうやっても問題は解決されね~ぞ。。なんてね。
結構、意識したらこの世を支配しているサタンの声に耳を傾けちゃってるのに気付く。
僕らを喜びに導くのはそんな声だろうか?
この詩篇の作者と共に、今日も自分の言葉として発してみませんか?発する!ハッスル!
では、今日も神様が備えられた一日。
隠された素敵を捜しに今日もでかけましょうね。
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- この段落(v.89~96)の中心的なことばは、93節後半の「あなたは私を生かしてくださった」ということです。「私を生かした」神のことばの永遠性、確実性がこの段落のテーマだと思います。
- 神の「ことば」「真実」「戒め」「みおしえ」は、とこしえの昔から、代々に至るまで、そして今も、天においても、地においても、不変であり、不動であることを告白しています。この世においてどんなにすばらしいと思われるものも、いつかやがて色あせ、終りがくることを知り、永遠に堅く立つものに信頼しようとする作者の気持ちが伝わってきます。
- 89節の天に「定まっている」と訳されるナーツァヴנָצַב(natsav)は、本来は、「立つ」「まっすぐに立つ」「ずっと立ち続ける」ことを意味します。90節の「据えた」と訳されたクーンכּוּן(kun)も、90,91節で「堅く立っている」と訳されたアーマドעָמַד(`amad)、みな同じく「立つ」という類義語です。このように類義語を重ねることで、よりその確かさ(確実性)を強調しているようです。神のことばは天においても、地においても、そして永遠に不変であり、不動であり、決して崩れることがないことを告白しています。と同時に作者は、そこに堅く立つことにより、自分もブレルことのない不変・不動の信仰の歩みをしたいと願っているのです。
- そうした願いを示すことばが、93節の「決して忘れない」、94節の「求めています」、95節の「聞き取ります」ということばです。
- 94節の「求めています」と訳されたダーラシュדָרַשׁ(darash)は、「英知を得る」、「心を向ける」という求道性を表わす積極的表現です。原義は「熟考する」で、どちらかといえば、理性的な領域において、尋ね求める、捜し求めるという意味です。ちなみに、心情的な領域での求道を表わす「慕い求める」はバーカシュבָּקַשׁ(baqash)です。
- 95節の「聞き取ります」と訳されたビーンבִּיןは、ことばの背後にある隠された知恵を見出そうとすることばです。作者は、日々、神のみおしえを学び、瞑想しながら、戒めの中に隠されている神の深い御旨を丹念に、しかもコツコツと捜し求め続けたのです。
- 92節の「あなたのみおしえが私の喜び」とは自発性を表わす表現です。「喜び」と訳されたシャアシュイームשַׁעֲשֻׁעיםは(24, 77, 92, 143, 173節)は、動詞のシャーアーשָׁעַע(sha`a`, 119:16, 47)と共に詩119篇の特愛用語です。この「喜び」はある出来事にある特別な「喜び」ではなく、日常的に経験している「喜び」です。この「喜び」こそすべての動機、行為の源泉となるものです。詩篇119篇の作者は、苦しみを通して、その喜びという宝を神のトーラーの中に見出したのでした。
- このように、作者を「生かし」た要因は、神のことばの「永遠性」と「堅固さ」、そしてそれらによって誘発された作者自身の「自発性」であることが分かります。ここに信仰の自立をみる思いがします。
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