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psm119:49 どうか、あなたのしもべへのみことばを思い出してください。あなたは私がそれを待ち望むようになさいました。
psm119:50 これこそ悩みのときの私の慰め 。まことに、みことばは私を生かします。
psm119:51 高ぶる者どもは、ひどく私をあざけりました。しかし私は、あなたのみおしえからそれませんでした。
psm119:52 主よ。私は、あなたのとこしえからの定めを思い出し、慰めを得ました。
psm119:53 あなたのみおしえを捨てる悪者どものために、激しい怒りが私を捕えます。
psm119:54 あなたのおきては、私の旅の家では、私の歌となりました。
psm119:55 主よ。私は、夜には、あなたの御名を思い出し、また、あなたのみおしえを守っています。
psm119:56 これこそ、私のものです。私があなたの戒めを守っているからです。
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おはようございます。
昨日は僕の友人が和歌山まで出かけて蛍狩りを。。
凄かったらしい。
僕は再来週を狙ってるが、子供達に喜んで欲しいとも思う。
では早速、今日も共に詩篇を。
僕の心に留まったのはこんな言葉。
高ぶる者どもは、ひどく私をあざけりました。しかし私は、あなたのみおしえからそれませんでした。
高ぶる者どもは、とは誰のことだろうか?
あなたのみおしえから離したいと願ってる人たちなんでしょうね。
みおしえとは、神様からの言葉。
サタンはその神様の言葉を見下げて、アダムとイブを巧みな言葉で背かせた。
高ぶる者とは、サタンであり
サタンの言葉を信じている人たちの事。
僕らはサタンの教えにズレてしまう肉体に制限されている存在だ。
みおしえは、僕らがズレる存在だと理解した上でそれないで居続ける事が出来る領域なのかもね。
詩篇の作者はこう語った。
psm119:50 これこそ悩みのときの私の慰め 。まことに、みことばは私を生かします。
バイブルに記された言葉は、必要に応じて語りかけてくださる言葉。
静かに心の耳を傾けて聴いてみよう。
時をも空間をも越えられた神様は僕らに必要な言葉を心に届けてくれる。
大丈夫。
この作者と同様に僕らはいつも見つめられ
誰よりも傍で支えようとされてるに違いないから。
もしかして・・・・。
そう考える思いで、僕らはこの詩篇を自分の言葉として発し始める事が出来る。
もしかして・・・
高ぶる者どもは、侮って僕らをバカにするだろうけど
サタンは僕らに真実な助けが傍にあると理解させたくないからなんだと知ってくださいね。
大丈夫。
今日も神様が備えられた素敵な一日。
隠された素敵を捜しに今日も一緒に出かけましょうね。
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- このブロックでは「まことに、みことばは私を生かします」(50節)に注目したいと思います。詩119篇では、「生かしてください」という嘆願の表現が16回見られますが、「生かします」חָיָהという告白はこの箇所のみです。新共同訳では「いのちを得させてください」と訳されています。refresh me, revive me.
- 「みことばは私を生かす」とはどういうことでしょうか。その答えのひとつがこの告白の前にあります。それは「悩みのときの慰め」となったということです。「慰め」とは、センチメンタルな意味ではなく、苦しみにあっても、それを避けるのではなく、むしろその中を貫かせていく力や励ましを意味します。詩119篇では、「みことばが私を生かす」その内実として、「私の慰め」の他に、「私の喜び」「私の歌」「私の救い」「私の光」「私の宝」「私の相談相手」「私の望み」・・・と表現されています。
- ここでの「みことば」はイムラーאִמְרָה('imrah)が使われており、「約束」を意味します。神の約束が私を生かしてくれると告白しているのです。神の約束は真実であり、必ずその約束は実現するからです。
- 「生かす」、「いのちを得る」、refresh, revive、renewのイメージは、弱ったシクラメンの花に水をやった姿にたとえることができます。まさに生き返ったように茎がしっかりと立ち直ります。そんな生かされる歩みが約束されていることを主に感謝したいと思います。
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