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【詩篇102篇】o19 悩む者の祈り。彼が気落ちして、自分の嘆きを主の前に注ぎ出したときのもの
psm102:1 主よ。私の祈り を聞いてください。私の叫びが、あなたに届きますように。
psm102:2 私が苦しんでいるときに、御顔を 私に隠さないでください。私に耳を傾けてください。私が呼ぶときに、早く私に答えてください。
psm102:3 私の日は煙の中に尽き果て、私の骨は炉のように燃えていますから。
psm102:4 私の心は、青菜のように打たれ、しおれ、パンを食べることさえ忘れました。
psm102:5 私の嘆く声で私の骨と皮はくっついてしまいました。
psm102:6 私は荒野のペリカンのようになり、廃墟のふくろうのようになっています。
psm102:7 私はやせ衰えて、屋根の上のひとりぼっち の鳥のようになりました。
psm102:8 私の敵は一日中私をそしり、私をあざける者 は私を名ざして毒づきます。
psm102:9 これはみな、私が、パンを食べるように灰を食べ、私の飲み物に涙を混ぜ合わせたからです。
psm102:10 それはあなたの憤りと怒りとのゆえに、あなたが私を持ち上げ、投げ出されたからです。
psm102:11 私の日は、伸びていく夕影のようです。私は、青菜のようにしおれています。
psm102:12 しかし、主よ。あなたはとこしえに御座に着き、あなたの御名は代々に及びます。
psm102:13 あなたは立ち上がり、シオンをあわれんでくださいます。今やいつくしみの時です。定めの時が来たからです。
psm102:14 まことに、あなたのしもべはシオンの石を愛し、シオンのちりをいつくしみます。
psm102:15 こうして、国々は主の御名を恐れ、地のすべての王はあなたの栄光を恐れましょう。
psm102:16 なぜなら、主はシオンを建て、その栄光のうちに現われ、
psm102:17 窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかったからです。
psm102:18 次のことが、後の時代のために書きしるされ、新しく造られる民が主を賛美しますように。
psm102:19 主はその聖なるいと高き所から見おろし、天から地の上に 目を注がれました。
psm102:20 捕われ人のうめきを聞き、死に定められた者を解き放つために。
psm102:21 人々が、主の名をシオンで語り、エルサレムで主を賛美するために。
psm102:22 また、国々の民や、王国が共に集められるとき、主に仕えるために。
psm102:23 主は私の力を道の途中で弱くされ、私の日数を短くされました。
psm102:24 私は申しました。「わが神よ。私の日の半ばに私を取り去らないでください。あなたの年は代々に至ります。
psm102:25 あなたははるか以前に地の基を 据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
psm102:26 これらのものは 滅びるでしょう。しかし、あなたはながらえられます。すべてのものは衣のようにすり切れます。あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。
psm102:27 しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。
psm102:28 あなたのしもべらの子孫は住みつき、彼らのすえは、あなたの前に堅く立てられましょう。」
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おはようございます。
連休明けの週が終わります。随分と鈍った身体で大変だった方も多かったかな?
では、早速。
今日、僕の心に届いた言葉はコレ。
psm102:16 なぜなら、主はシオンを建て、その栄光のうちに現われ、
psm102:17 窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかったからです。
悩む者の祈り。彼が気落ちして、自分の嘆きを主の前に注ぎ出したときのもの
今日の箇所は本当に気落ちしてる方の嘆きの祈りみたい。
そんな時、こんな告白が出来るかどうかが大切だ。
僕らには、選択の自由が与えられている。
今の問題も祈って解決をされた方がおられると未来完了で祈れるかどうか?
未来完了形。
僕らは未来完了形で祈ることができる。
何故なのか?
それは、僕らは過ごしている『 今 』というタイミングでしか生きてはいないけれども、
僕らの祈りを聴かれる方は、過去も将来も『 今 』というタイミングで生きられる方だからだ。
具体的に云うと・・・
僕らが苦しみ悩んで嘆いて祈る祈りは、神様が僕らに必要だと思ったら、その瞬間神様は叶えられる。
僕らには将来というタイミングかもしれないけれども。。僕らにベストなタイミングで。
僕らがそう告白できる為には
神様が僕らの必要を満たされる方だという事実を受け入れる事が必要なのかも。
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luk11:9 わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
luk11:10 だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
luk11:11 あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。
luk11:12 卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。
luk11:13 してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
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ここで、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。と記しているのは
この聖霊という神様と僕らを繋げる鍵。
僕らはその神様に本気で愛されている。
感情的には拒否してしまう状況でも
僕らはこの事実を知ることで、時を越えた神様が祈った瞬間叶えられる方だと信じるとき
僕らの口から未来完了形の祈りが生まれてくる。
それは、神様を信じることを選択したから。
僕らは、心が満たされていない状況でも、神様の実際を告白できる。
制限された肉体で物事を判断する事を放棄すれば・・・。
大丈夫。
僕らに与えられる聖霊は、肉体に制限されるものではなく
そのまま神様の心に繋がる素敵な命だから。
今日も大変な時を過ごすでしょう。
でも、この嘆かれた作者のように僕らも神様が将来される実際を告白できる。
泣きながらでも・・・ね。
肉体で制限された世界から解放され
真実を体験しながら、過ごすことが出来るよう祈ってますね。
今日も素敵な一日。
隠された素敵を捜しに今日も一緒にでかけましょう。
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16節「なぜなら、主はシオンを建て、その栄光のうちに現われ・・」 (新改訳)
Keyword;「建てる、築く、再建する」build, build up,
51:18/69:35/78:9/89:2, 4/1-2:16, 118:22, 122:3, 127:1,1/147:2
「建てる」と訳されたバーナーבָּנָה(banah)は、旧約で379回、詩篇では12回使われています。このことばが聖書で初めて登場するのは創世記2章22節。「神が人から取ったあばら骨によってひとりの女に造り上げ(בָּנָה)」というところに使われています。これは神が人という存在を建て上げるためにしたことでした。つまり、男と女がその深い交わりを通して、神と人とのかかわりのいのちを繁栄させるためです。人はここに初めて「ふさわしい助け手」が与えられたのです。神は、神と人、人と人とのかかわりを建て上げることのできるお方です。
聖書には二つの「建て上げ」の系譜があります。一つは、カインが自分の犯した罪のゆえに主の前から去って、エデンの東ノデに住みつき、町を建てます(創4:17)。そして、自分で自分を建て上げようとする文明が始まっていきます。そして、「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名を上げよう。」(同、11:4)と呼びかけます。しかし、それに対して神は彼らのことばを混乱させてそれを阻止します。人間の力で建て上げていこうとする傾向は、神の民となるべく選ばれた者たちに対してもその誘惑が絶えずありました。たとえば、なかなか子どもが与えられなかったアブラハムの妻サラは自分の女奴隷ハガルによって、「私は子どもの母になれる(בָּנָה)」と考え、ハガルのところに入るように夫に勧めました(創16:2)。同じことをヤコブの最愛の妻ラケルもします(創30:3~8)。
もうひとつの系譜は、神によってすべてを建て上げていこうとする流れです。神がノアの時代、すべてをリセットすべく洪水を起こした後に、ノアは祭壇を築きます。この祭壇を「築く」という動詞にバーナーבָּנָהが使われています。祭壇を「築く」ことは、神を神として、神によって再建されるために自分のすべてを差し出すという礼拝行為です。この流れは、アブラハム(12:7, 8)、イサク(26:25)、ヤコブ(35:7)と引き継がれ、モーセへと引き継がれていきます。しかし神の民の歴史は祭壇を築くことをやめたことにより、自分のたちのよりどころであったシオンの町(エルサレム)を失いました。今や、神の民はバビロンにおいて悲痛なほどの試練の中から、再度、神がシオンを再建されることを確信するようになったのです。
神の家、主の家の再建は神の独占行為です。神の民の将来が保証されるのはただ神のみであるという信仰の光が灯されたのでした。それゆえ、この信仰は「後の時代のため」(後世の世代のため)に「書きしるされ」なければならなかったのです(詩篇102:18)。
「まことに神が・・・エルサレムの町々を建てられる。」(詩篇69:35)、「主はエルサレムを建て、イスラエルの追い散らされた者を集める」(詩篇147:2)、「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。」(詩篇127:1)・・も同じ思想をもった詩篇と言えます。
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