主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。 | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

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僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

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【詩篇93篇】o19


psm93:1  主は、王であられ、みいつをまとっておられます。主はまとっておられます。力を身に帯びておられます。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐこと はありません。

psm93:2  あなたの御座は、いにしえから堅く立ち、あなたは、とこしえからおられます。

psm93:3  主よ。川は、声をあげました。川は、叫び声をあげました。川は、とどろく声をあげています。

psm93:4  大水のとどろきにまさり、海の力強い波にもまさって、いと高き所にいます主は、力強くあられます。

psm93:5  あなたのあかしは、まことに確かです。聖なることがあなたの家にはふさわしいのです。主よ、いつまでも。


 

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おはようございます。

ゴールデンウィーク・・・お休みで無い方も居られるでしょうがひと時

ダビデさんの詩篇で力づけられてでかけましょう。


では、今日僕の心に留まった言葉を。

psm93:4  大水のとどろきにまさり、海の力強い波にもまさって、いと高き所にいます主は、力強くあられます。





強いんです。

神様は。


どんだけ・・?

海の力強い波にもまさって。




昔北海道に出張があった時、有給休暇をもらって北海道を回った事がある。

日の出岬?から稚内を通って、サンセットビーチまで。

その時、日の出岬で日の出を見て、海の岩に降りた。

そこは、波によって形作られた変わった海岸だった。

暫くウロウロしていたものの、いつの間にか波が高くなって

太平洋の深緑に見えるその海に呑まれてまうような怖さを感じたのを憶えている。



自然の力強さ、感じたことありますよね。

なんか人の力なんかひとたまりも無い・・・。

太刀打ちできない怖ろしさが其処にはあるんです。



神様の力は大水のとどろき、

そして海の力強い波にもまさっている。




でもね、

強いだけの王様は怖いだけ。

主は、王であられ、みいつをまとっておられます。主はまとっておられます。力を身に帯びておられます。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐこと はありません。



神様はただ強いだけの王様だったのだろうか?

またまたこの説明が役に立つ。

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http://meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs93


新改訳、新共同訳では「王」「王であられ」とは、一見、名詞のようにみえますが、実は動詞が使われています。NIV訳ではreigns つまり、主が王として支配する、統治する、君臨するという意味です。

旧約では動詞のマーラフמָלַך(malakh) は347回、詩篇ではわずかに6回です。しかし、すべて神に対して用いられています。ちなみに、名詞形の「王」メレフמֶלֶך(melekh)は旧約全体で2,523回、詩篇で神が王(King)として用いられいるのは22回です。「王国kingdom」マルフートמַלְכוּת(malkhut)は旧約で91回、詩篇は6回(45:6/103:19/145:11, 12, 13, 13)です。

ところで、神が王として支配されることがなぜ恩寵なのかといえば、それは他の国々のように専制君主的な王ではなく、ご自身の民に対して、いつくしみと公正と正義をもって治められるからです。詩93篇では王の風格について語られていますが、「王国」(kingdom)という語彙が最も多く登場している詩145篇では、「私の神、王よ。わたしはあなたをあがめます」(1節)と個人的に告白され、この王国の統治の特徴がいかなるものであるかをよく言い表しています。たとえば、

8節「主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。
主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは造られた者の上にあります。」
14節「主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。」
15節「すべての者は、あなたを待ち望んでいます。あなたは時にかなって、彼らに食物を与えられます。」
16節では「あなたは御手を開き、すべての生けるものの願いを満たされます。」
18節「主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。」
20節「すべて主を愛する者は主が守られる。」

王の統治は「すべてのものに」、「みな」、「すべて」に及ぶことが印象的です。しかもその王国は、永遠にわたる王国、輝かしい栄光の王国として、その統治が代々限りなく続きます。キリストこそ私たちの永遠の王の王です。この方の統治は私たちにとってこの上なく喜びとなるのです。


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僕の親父は絶対君主だった。

何も理解できなくても、言うことには絶対に従わないと家族全員が罰を受ける事になる。

本当はいい思いだったのかもしれないが、僕にとっては酷い王様だった。




ダビデさんの王様はそんな方ではない。

神様は

情け深く、哀れみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられる。



この世界を創られた神様は、素敵な王様。




サタンに支配されたこの世界でも、その王様の大庭に入る事が出来る。

制限された肉体をもっていても。

ダビデさんのように賛美をするなら。

神様の実際を日ごと言い表していくなら。



今日も神様が創られた一日。

隠された素敵を今日も一緒に捜しに出かけましょうね。