私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。 | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

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僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

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【詩篇86篇】o19


psm86:1  主よ。あなたの耳を傾けて 、私に答えてください。私は悩み、そして貧しいのです。

psm86:2  私のたましいを守ってください。私は神を恐れる者です。わが神よ。どうかあなたに信頼するあなたのしもべを救ってください

psm86:3  主よ。私をあわれんでください 。私は一日中あなたに呼ばわっていますから。

psm86:4  あなたのしもべのたましいを喜ばせてください。主よ。私のたましいはあなたを仰いでいますから。

psm86:5  主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。

psm86:6  主よ。私の祈りを耳に入れ、私の願いの声を心に留めてください。

psm86:7  私は苦難の日にあなたを呼び求めます。あなたが答えてくださるからです。

psm86:8  主よ。神々のうちで、あなたに並ぶ者はなく、あなたのみわざに比ぶべきものはありません。

psm86:9  主よ。あなたが造られたすべての国々はあなたの御前に来て、伏し拝み、あなたの御名をあがめましょう。

psm86:10  まことに、あなたは大いなる方、奇しいわざを行なわれる方です。あなただけが神です。

psm86:11  主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。

psm86:12  わが神、主よ。私は心を尽くしてあなたに感謝し、とこしえまでも、あなたの御名をあがめましょう。

psm86:13  それは、あなたの恵みが私に対して大きく、あなたが私のたましいを、よみの深みから救い出してくださったからです。

psm86:14  神よ。高ぶる者どもは私に逆らって立ち、横暴な者の群れは私のいのちを求めます。彼らは、あなたを自分の前に置いていません。

psm86:15  しかし主よ。あなたは、あわれみ深く、情け深い神。怒るのにおそく、恵みとまことに富んでおられます。

psm86:16 私に御顔を向け 私をあわれんでください 。あなたのしもべに御力を与え、あなたのはしための子をお救いください。

psm86:17  私に、いつくしみのしるしを行なってください。そうすれば、私を憎む者らは見て、恥を受けるでしょう。まことに主よ。あなたは私を助け、私を慰め てくださいます。


 

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おはようございます。

今日は大阪は雨でござます。

きっと、雨が必要な方々の処に届いてるんでしょうね。

僕らは制限された身体をもってるので、解らない事が多いですが、きっとそうに違いないですよね。

解らない事は多くありますが、背後の愛に信頼して感謝して過ごせますように。



では、早速ダビデさんの詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。



この解説はわかり易いかも。

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使徒パウロはキリストと出会ってから、自分の内に矛盾する心があることを知りました。そしてその矛盾に悩みました。

私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。・・・私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。・・もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。・・私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ人への手紙7章15~24節)

この矛盾を解決し、私たちの人格を統合してくださる方こそ主イエス・キリストです。人格が統合することは神との豊かなかかわりをもつための条件と言えます。その統合は神の御霊によって可能とされます。神に愛されている者であることを知り(知性)、神を喜ぶ者となり(感情)、自ら神を愛していく者となる(意志)ことは、御霊なる神、「神の賜物」としての御霊のみわざです。罪と死の原理から「いのちの御霊の原理」の中に生かしていただける恵みがすでに備えられているのです。それゆえ、「私の心を一つにしてください」という祈りはきわめて大切な祈りと言えます。

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僕らの身体は色んな方向へ引きずられ易いものだ。

だから、この世のままの身体では矛盾を解決できないとパウロは嘆いていた。

自分がしたいことも出来ない身体を持っているって事を。その実情を皆が知る為に。



僕らには、制限される身体を持ち、

身体の思いに引きずられる事が多いのは誰もがかんじることだと思う。



それが正常だ・・・という事を先ず認識する事。



だって、サタンに支配されたこの世では、僕らの意志で全てを行う事が出来るのは稀だ。

それを解決させる為に、ジーザスが来られた。

心を一つにする為に。

僕らが出来ない事を全うする為に。


だから、其処で僕らは失望する事は無い。

全く。



サタンの支配に属している身体を

神様の支配の下に移動する事は可能なのか?




可能だ。




それは、このダビデさんのように

神様の支配がなると信じて、言葉を発する(告白)する事から始まる。



忘れちゃいけない。

神様は何よりもあなたを愛し、あなたが豊かに過ごす事を願ってる事を。


だから、

僕らがそんな神様の思いを信じて言葉を発する時

神様の思いが僕らに起こる。



僕らがそう思い願ってるから・・・じゃなく、

神様が僕らが思う先にそれを願ってられるから・・のような気がするね。





神様は、本気で僕らを愛してくれている。

大丈夫。



僕らは迷わず、ダビデさんの詩篇を自分の思いとして発すればいい。




さあ、今日も神様が用意された素敵な一日。

隠れた素敵を一緒に捜しにでかけましょうね。