おはようございます。
今日は、本当は休みなんだけど
2時間くらいの出荷作業のためにもう少ししたら行ってきます。
今日は3日
ソロモンの箴言3章やね。
ここで、僕の出会った言葉を紹介。
今日は何やら怖そうな言葉やね。
でも、その背後にある気持ちがどんなんか解れば、心が温かくなるかもね。
では。
。。。。。。。。。。
prv3:1 わが子よ 。私のおしえを忘れるな。私の命令を心に留めよ。
prv3:2 そうすれば、あなたに長い日と、いのちの年と平安が増し加えられる。
prv3:3 恵みとまことを捨ててはならない。それをあなたの首に結び、あなたの心の板に書きしるせ。
prv3:4 神と人との前に好意と聡明を得よ。
prv3:5 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
prv3:6 ★ あなたの行く所 どこにおいても、主を認めよ 。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
prv3:7 自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から 離れよ。
prv3:8 それはあなたのからだを健康 にし、あなたの骨に元気をつける。
prv3:9 あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。
prv3:10 そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。
prv3:11 わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。
prv3:12 父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。
。。。。。。。。。。
箴言は戒めの言葉。
あれやっちゃイカン。これもやっちゃイカン。
ん~、、、もうえーわ!!
自分勝手にやりたいことをやらしてくれよーーー。なんて思った事を思い出します。
でも、それでいいんです。
僕は、それで普通な感情だと思うんです。
だって、
ここに記されているように、僕らと神様とは父と子供の関係。
僕らが信じようが信じまいが
神様は愛する対象として 『 子 』 として僕らを創られた。
だから、
当然僕らは子供として甘えて駄々をこねてイイ。
少し考えて見て欲しいのは。。
駄々をこねるのは、その対象が信頼にあたる人だからじゃないかなって事。
見知らぬ人に子供は駄々をこねない。
僕が云いたいのは、
神様は駄々をこねるくらいに僕の存在を認めてねって思ってるんじゃないかって事。
と考えると
何やら、戒めのバイブルの言葉の背後に暖かなものを感じませんか?
最後にこんな言葉も
『 父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。 』
ソロモンは
このように神様との関係を感じていたんやね。
でも、
この真理はバイブルを信じている人でもズレちゃう事が多い。
宗教化してしまい
出来ることを誇り、出来ないことを憂うという習慣が僕らの中に染み込んでいるから。
是非、いつも思い出して欲しい事はひとつ。
僕らは、誰でも
神様の愛されている 『 子 』 だって事。
駄々をこねて、よくスネテまう位の子供。
戒めを守って出来るようになる事がベストじゃない。
出来なくても問題ない。
むしろ出来ないほうが良いくらいかもよ。
それは、
僕らに一番大切なのは
『 心を尽くして主に拠り頼め。 』 って言葉。
僕は、神様なしじゃ駄目やねん。
戒めを聞くことも、守ることもできヘン。
僕の親ってんなら、僕を助けてよーー!!
そんな姿勢を
神様は願っていつも傍に居てくれてる。
僕は、そう思うんですね。
ジーザスはこんな言葉を残している。
『 心の貧しい者 は幸いです 。天の御国は その人のものだからです。 』
貧しいとは、砕かれたという意味の言葉を使っている。
砕かれた。。。
ん~。
どうしようもなく酷い状態じゃないの・・・。
嫌やわ。
砕かれるのシンドイ。
今の世界では、「負け組み」って枠やもんね。
神様の世界は
今生活している世の中の常識の逆の場合が多いかも。
僕は、世の中に負けて
砕かれ、心も歪んで命を終わらせたいと感じて過ごしてた。
でも
その砕かれた時がなければ
この神様を体験することは無かった。
今、僕らは
『 心 』 砕かれた状態ですか?
それなら
きっと、見えてくるはずですよ。
僕らに用意されてる
素敵な方との関係が。僕も祈ってますね。
今日も、素敵な一日なはず。
ちっちゃな幸せ、一個でも見つけることができますように。
行ってきま~す。