ワーシップタイム
今日は日曜日。
朝から礼拝メッセージでのユテコが受け取った解釈を。。。
。。バイブル 。。
1sam8:8 わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのした事といえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えたことだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。
この箇所は、
あのモーセが杖で水を真っ二つにして、エジプトから出た後の出来事。その時はイスラエル人には、他国のような王様は居なく、神様は裁き司のサムエルという祭司をたてていた。
イスラエルの王は、
神様自身であった為、当然神様が居ない他国と同じように王様は要らなかった。
が、しかし、サムエルの後の跡継ぎを不安視し、サムエルが年老いた時に、見えない神様よりも、他国と同じように見える王様を求めた。
今日の箇所は、そんな時のバイブルの言葉。
。。。
わたし(神)を捨てて、ほかの神々に仕えたことだった。
。。。
なぜ?なんだろう
イスラエルの民からすれば、目の前でモーセによって海をわけた神様のみわざをまざまざと見て過ごしたはずだった。本当に神様は生きて僕らを守り助けてくれると体験してきたはずだった。
イスラエルの民は薄情だよね~。
神様への裏切りににた行為やわ。
これらは、
すでに起きた過去の出来事やと。。。
それらは、
昔にあった出来事やと。。。
確かにそうだけど。。。 ね。
そして、
それを見てる僕らはこう思う。
これは、昔からの出来事を綴った
バイブルのお話。
実は、
僕らも変わんない存在。
目に見えないけど、
神が居られると信じているならば、見える、見えないは全く関係の無い事。
重要なのは、神様の存在。
神がどんな方で、僕らとの関わりはどんなだ。という事が重要なのではないだろうか?
ここでのイスラエルの民は
その神様との関わりよりも、周りの環境と同じくする事(自分の心に安心をさせる方)を優先してしまった。
それは、
僕らの実際の生活にどう影響してくるのか?神様がどのような方か、僕らにとってどんな方なのか?知る必要を感じずに入られない。
どんな方なのか?
そんな神様の考え(心)
牧師が求める時によく読む言葉を紹介。
。。バイブル 。。
psm123:1 あなたに向かって、私は目を上げます。天の御座に着いておられる方よ。
psm123:2 ご覧ください。奴隷の目が主人の手に向けられ、女奴隷の目が女主人の手に向けられているように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。主が私たちをあわれまれるまで。
psm123:3 私たちをあわれんでください。主よ。私たちをあわれんでください。私たちはさげすみで、もういっぱいです。
psm123:4 私たちのたましいは、安逸をむさぼる者たちのあざけりと、高ぶる者たちのさげすみとで、もういっぱいです。
もしも、
自分の力や判断・知恵に限界を感じたら
僕らは神により頼む事ができる。
なぜなら、
実は、僕らは既にそんな関係にある。
~ 目を上げてみませんか?
いつでも目があうはずだから。
そして、
僕らを愛し守って下さってる事を知る時となるはずだから。
では。
今週も素敵な一週間となりますように。
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