『神のしつけ』について
神様の目から見て、僕らはどう映っているのか?
。。バイブル 。。
二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。
またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。
頭の毛?
ナンじゃそりゃ!
そんなショウもない。。。
そう、僕ら自身も関心の無いしょうもないものにも、最大の関心をもって愛して見つめて下さっている。
今日の言葉は、
その僕らを愛される神が
僕らを訓練?って事に焦点をあてる。
まず、
僕らは神は居ないという事を信じて歩み続ける。
そして、様々な生活のギャップから、やはり神がいて欲しい、居るべきだと思い探し始める。
しかし、
自分が思い描く神像とのギャップを感じて、自分の想像と違う事で、やっぱり神は居ないと信じる事を選択する事になる。
例えば、
こんなに真面目にやってるのにひどい目に合うのは、いつも僕だけや!あいつらの方が誰が見ても悪いのにこんな世界を許されるって事は、神なんて居ないに違いない!
(これは以前の僕の思考回路)
どうだろう?
こんな思考回路になった事は無いだろうか?
サタンが満足する事は?
それは、あなたが仕事に日々の悩み事に忙殺され、神の事を忘れさえすれば。。
立派な宗教行事の中で、神を見ることなく善行を行っちゃう時そんな自分の行いに満足する時にサタンは満足する。
含み笑いを浮かべながら、サタンはあなたの姿を見つめて居ないだろうか?
ぬぉー!そりゃあアカン。
なんて思うなら、一度そんなあなたを愛して居る神の言葉に耳を傾けてみて。とても素敵な時に変わるはず。
育児、夫婦間、仕事にボランティアも、僕らはまず神が居て僕らがおり、僕らが立っている立場を知る事が出来る。
(クリスチャンは御言葉に従うと書かれている言葉を盲目的に自分の力で行おうとするけど、それとはまったく異なる。人格的に神の声を聴く事なければ、サタンを満足させる善行に変わっちゃうから気をつけて。。)
バイブルには、こんな言葉も記されている。
。。バイブル 。。
あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。
、、、、
すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
神の裁きとは
どう捉えれば良いのか?
神がしたらアカンといわれる事に耳をかさず、信じず、その声を無視しておこなっちゃう事。
それは、言い換えれば、神の声に耳をかすな、信じるなと心に囁くサタンの声を聴いて従っていくから、共に裁かれちゃうだけの事。
ん~??
神の声に聴かないって事は
サタンの声に従う事になるって事?
。。。残念ながら。
バイブルには撒いた種は刈り取らなければならない、と記されている。サタンに従って行う行為をバイブルでは『罪』と呼んでいるが、その罪が僕らの心を汚し続ける。その汚れはさらなる汚れを生み出し僕らはどーしようもなくサタンが喜ぶ姿になっていっている。
じゃ~。。。
どーしよーもないじゃん!
実は、
その汚れを洗い落とすモノを神は用意された。
それは、真っ赤な血。
十字架から流れてくる。
あのジーザスの血。
それだけが、サタンの汚れを完全に、そして真っ白に洗い流してくれる。
それは、
あなたがサタンの汚れに埋もれて裁かれ無いようにする為。神はあなたをめちゃくちゃ愛しててるから絶対に裁きたくない事を忘れないで欲しい。
僕ら自身も関心の無い頭の毛さえも数えちゃう程、あなたを愛してるんやから。
そんな神は
サタンの汚れから僕らを守る為に、僕らは神からのしつけを受けている。
あのダビデはこんな言葉を残している。
。。バイブル 。。
苦しみにあったことは、わたしに良いことです。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。
他の箇所では、
神のしつけをこう記している。
。。バイブル 。。
銀から、かなかすを除け。そうすれば、練られて良い器ができる。
天然の銀にはかなかすが混じってるから、精錬された良い銀にする為には、熱く熱せられ叩かれなければ、かなかすは取り除けられない。
しつけは、
練られて良い器とされる為かな?
僕らの親もそうだったように、
天の父といわれる神はそう思っての事なんだろうと容易にそうだと思わせられる。
。。バイブル 。。
すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。
ダビデはこうも言っている。
。。バイブル 。。
わたしは苦しまない前には迷いました。しかし今はみ言葉を守ります。
自分の力で、
自分の考えで歩むとき、いつの間にか結構サタンにヤられちゃうもんだ。だから、神様のしつけの言葉が必要なんだ~と、言っているようにも思える。
痛み、病気そして不自由な理由もそう。それも、しつけと同じく神からの贈りものと考えてもいいのかも。
メッセンジャーである牧師の海外の陸軍仕官学校で学んだ友が、全てのことには目的があって存在する!目的がないことは決してするな!なんて言葉をよく覚えているそうだ。
しつけには、目的がある。
すべては理解出来るものでないかもしれない。でも、神はバイブルの中にこう記している。
。。バイブル 。。
主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。
一度、そんな神様がいるなら、そんなこともある?なんて思い巡らすのも悪くない。
きっと愛されている暖かさを実感できてくるはず。。
では。
今週も愛のしつけを
受ける事の出来る自分を感謝しつつ過ごせますように。
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