昨日、バイブルスタディでひとつの言葉から、来年のすべき事らしきモノが見えて来た気がした。
なぐさ・める【慰める】
[動マ下一][文]なぐさ・む[マ下二] 1 何かをして、一時の悲しみや苦しみをまぎらせる。心を楽しませる。心をなごやかに静める。「失意の友を―・める」「音楽に―・められる」 2 労をねぎらう。い...
バイブルの中にある愛の慰めという言葉が、フッと心に入って来たような感覚になった。
そこの言葉には、
励まし
愛の慰め
愛情とあわれみ
なんて言葉が並んでいた。
最近はあまりその言葉に焦点を当てた事がなかったけど、この言葉って誰にでも必要な時があるよなって思った。
例え、立派そうな指導者でさえも。
いや、そんな指導者だからこそ。
なんて 思えた。
指導者は、孤独だ。
任された者は、その責任を負うけれども、その立場にたった事の無い者からは感じられないものがあるように思う。
弱音を見せる事は、その先を進む者にとってふさわしくない なんて考えてる人なんか本当に大変。
バイブルにも指導者の為に祈れなんて言葉があるが、僕を含めた多くの人は批評家、評論家となり一つ塀を超えたところでざわざわと話をしているだけになってしまっている気がする。
その塀を乗り越える事。
愛の慰めはそこから、始まるような気がした。
僕も多くの人から、その時々に深い慰めを受けてきた。その慰めがなければ命を失っているに違いない。
愛の慰め。
静まってもう一度確認する必要のある言葉となっている。
慰めが必要な方。
あなたの傍には、僕を支え慰めてくださった方が既に居られる。
大丈夫。
慰められる為に来られたジーザスが、
あなたを包んでくださってる事を知る時が来るから。
大丈夫。
僕らの傍には、いつもジーザス。
感謝!
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