お久しぶりですが、さっそく、、、
マタイ 六章
主の祈りといわれている言葉の最後の節。
『私たちを試みにあわせないで、悪からお救い下さい。』
ここに書かれてある
試み とは、
ペイラスモス という言葉で表現されている。
この言葉には二つの意味があり、
試練 と 誘惑 だ。
ヤコブ 一章二節では、この
ペイラスモス を 訳しわけられている箇所。試練 と 誘惑。
主の祈りといわれるこの箇所に、この言葉。なんの意味があるのか?
試練は、プラスの作用が生じると考える事が出来る。
こんなバイブルの箇所からもそういえる言葉がある。
試練は、乗り越えられるモノだけだとされている。ギフアップしても逃れの道も用意してある。という約束。
そして、誘惑。
誘惑は神様が僕らに与えるモノでは決してない。誘惑はサタン完全主導の業。
誘惑はサタンの惑わし、弱さにつけ込み僕らの一歩一歩の選択を本来居るべき神様の場所からズラす。。
気づくことのない様な小さなズレから、取り返すことの出来ない状況までにしてしまう。
たかが、こんな嘘このくらい。。
とうぜん、みんなやってる事だし。。
なんて。 ね。
誰でもズラされてる。
例え立派そうに見える人も。
ココロの中ではズレとの闘いがいつも繰り広げられている。
ある有名な説教者に、こんな質問。
この国で一番の宗教家は?
その質問に、答えは。
サタンだ。サタンほど熱心な宗教家はいない。
と答えたそうだ。
確かに。
神は居ない。自分を信じろ。自然発生的にお前は偶然に生まれしんで行く存在だ。好き勝手な事をしなくちゃ、損やぞ!誰もお前を愛してなんか居ない。。。生きててなんの意味があるのか?
なんて。
結構サタンにかけられた声の数々が思い出される。
サタンは僕らを混乱に陥れ、神様から離れさせ殺す事が目的だからだ。
しかし、最後のこの箇所を確認しておかなければならない。
ヨハネの第一の手紙 4:4
子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。
僕らは、実はサタンなんかに負けることがない。いや、既に時を創られた神様の将来の勝利によって、勝っちゃってるんだ。という事。
神様にとって時は、未来も過去もない。全てが今。
僕らは、サタンに既に勝った神様によって、勝っちゃってる!
未来完了形だね。
これは、ホンマに
不思議!!としか言いようがない。
僕らは、日々サタンの誘惑にあう。
サタンの熱心さは半端じゃない!!
だけど、
神様の勝利は既に僕らのもの。
後は、闘う方法を知り、
その道を意識して選んで行くだけ。
傍に居てる神様と共に!
闘い方は、お近くの教会で聴くのをオススメします。
また、Mailを下されば具体的に僕が知りうる範囲で。。
では。
今日も素敵な選択が出来ますように。
大丈夫。
僕らの傍には、いつもジーザス。
感謝!!
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