おはようございます。
今日は日曜日。今日のワーシップタイムでは、新しい戒め。
なんやなんや!
イランのじゃ。戒めなんか。
あれやれ!これするな!うるさい事ばかり言うとるな~。なんて思いませんでした?
僕はジーザスと人格的な触れ合いをする前は、バイブルは細かい事を言うとる鬱陶しい宗教の教えの本としか思っていなかった。
ところが,
変わるんですよね。言葉が心に飛び込んで来るようになる。。
不思議。
そして、こんな言葉を発見するようになる。
ヨハネによる福音書 13:34
わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
今は親が子を愛せないような、また、子が親を愛せないような歪んだ世の中になってしまっている。
何故だろう?
何故なんだろう?
今見える問題に対するイメージする力をサタンに占領されているのに気づいてない事もその原因にある事を知るべきでもあるかな。
不思議な競争原理の中で、比較により、見下しまた自己否定に想像力を集中してる時間が多いのではないのだろうか?
自尊心。
精神医学的な「自尊心」とは、"ありのままの自分を尊重し受け入れる"ということであり、世間一般でいう「向上心」や「上昇志向」とは異なる。
Wikipediaより。
自尊心を守るのは、他の誰でもない。自分しかいないもん。。相手の事を考えてたら、その前に自分が潰れてしまうじゃないか?だから、相手を傷つけても。。
だから、仕方ないじゃないか?
ね。
ジーザスは、
自分という存在を認め愛する。そして、同じように隣り人を愛しなさいと語られる。
あなたは、僕が守るから。
あなたは、自分を愛し、また、隣り人を愛しなさいって。
あなたが、愛そうとしている自分自身、また、親や友人知人を愛する事で、心配しないでいいよ。
あなたは、わたしの目には、高価で尊く、目に入れても痛くない大好きな存在として、私があなたの必要を満たし守るから。
ぼくは、この言葉の背後に温かいぬくもりを感じる。
素敵な戒め。
僕ら全ての人に必要な戒めなのかもね。
では。
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